今の亘理町
宮城県南部の亘理郡にある町で、東は太平洋に面し、北は阿武隈川に接します。西側は丘陵地帯、東側は平野で、沿岸には汽水湖の鳥の海があります。亘理伊達氏の城下町として知られ、冬は県内でも晴天が多く温暖です。イチゴの出荷量が東北第1位で、リンゴの出荷量も県内第1位です。笹かまぼこやはらこ飯も地場の産物です。
今の亘理町の区域の人口は、2020年の国勢調査で33,087人です。今の区域で数えた1980年の27,822人とくらべると18.9%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.6%です。
主な産業:イチゴやリンゴなどの果樹・園芸を中心とした農業が盛んです。
特産品・名産
- イチゴ出荷量が東北地方第1位
- はらこ飯地場産物とされる郷土料理
- 笹かまぼこ地場の食品加工品
見どころ・祭り
- 鳥の海沿岸にある汽水湖
- 亘理神社(亘理城跡)亘理伊達氏の城跡に建つ神社
- 三十三間堂官衙遺跡平安時代の亘理郡衙で国の史跡
- 称名寺のシイノキ国の天然記念物の巨木
- わたり温泉鳥の海弱アルカリ高温泉の温浴施設
木くろまつ花さざんか亘理町の木・花
亘理町のなりたち
亘理町(わたりちょう)は、宮城県仙台地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。逢隈村・荒浜村・吉田村・亘理町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の亘理町になりました。
今の名前「亘理町」は、1920年にあった亘理町の名前を受け継いでいます。ほかの3の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の亘理町が約8km²だったのに対し、今の亘理町は約75km²と、およそ9.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は亘理郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧逢隈村の区域には逢隈駅(常磐線)があります。
「亘理町」という名前
亘理は阿武隈川の南岸にあり、川を「渡る地」であったことから「わたり」という地名になったといわれています。文献に初めて出てくるのは718年(養老2年)で、『続日本紀』に「曰理郡」と書かれています。古くからこの地域の郡の名として使われ、のちに「亘理」の字が使われるようになりました。
まちの成り立ち
江戸時代、亘理は仙台藩の重臣である亘理伊達氏の城下町でした。1870年(明治3年)には、亘理伊達家の当主の伊達邦成が家臣団を率いて北海道の有珠郡へ移り、開拓を始めました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、小堤村の区域をもって亘理町が発足し、周りには荒浜村・吉田村・逢隈村ができました。1943年(昭和18年)4月29日に荒浜村が町制を施行して荒浜町になりました。1947年(昭和22年)には、阿武隈川の北岸にあった逢隈村の吹上地区が岩沼町に移りました。
1955年(昭和30年)2月1日、亘理町・荒浜町・吉田村・逢隈村が合併し、新しい亘理町が発足しました。町の西側は丘陵地帯、東側は平野で、沿岸には汽水湖の鳥の海があります。冬も晴れの日が多い温暖な土地で、イチゴやリンゴづくりが盛んです。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、津波で荒浜などの沿岸の地区が大きな被害を受けました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、亘理郡に亘理町・荒浜村・吉田村・逢隈村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1943年4月29日昭和18年亘理郡荒浜村が町制を施行して荒浜町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1947年1月11日昭和22年亘理郡逢隈村のうち阿武隈川北岸の吹上地区が名取郡岩沼町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年2月1日昭和30年亘理郡の亘理町・荒浜町・吉田村・逢隈村が合併し、改めて亘理町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。