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山元町やまもとちょう

1920年には2の町村だった区域が、1回の合併・編入を経て、今の山元町になりました。

2町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の山元町

宮城県の東南端、太平洋沿岸にある亘理郡の町で、南は福島県新地町に接します。西部は山地、中部は台地で畑や果樹園が広がり、東部の低地は水田です。北部の山下地区、南部の坂元地区、海岸地区に分かれます。いちご、りんご、ホッキ貝が三大特産品とされます。東日本大震災では、沿岸の集落が津波で大きな被害を受けました。

今の山元町の区域の人口は、2020年の国勢調査で12,046人です。今の区域で数えた1980年の17,630人とくらべると31.7%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.1%です。

12,046人人口(2020年)
−31.7%1980年からの増減
66.2km²面積(概算)
182人/km²人口密度
41.1%65歳以上の割合
18,8151980199020052020
15歳未満 8.9%15〜64歳 50.0%65歳以上 41.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:いちご・りんごなどの果樹栽培と、ホッキ貝などの漁業が中心です。

特産品・名産

  • いちご町を代表する特産品
  • りんご町を代表する特産品
  • ホッキ貝町を代表する特産品

見どころ・祭り

  • 四方山・深山町の西部の山
  • 八重垣神社町内の神社
  • 坂元城跡大條氏が治めた坂元の城の跡

木黒松花ツツジ鳥ツバメ山元町の木・花・鳥

山元町のなりたち

山元町(やまもとちょう)は、宮城県仙台地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。山下村・坂元村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の山元町になりました。

今の名前「山元町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の山下村が約38km²だったのに対し、今の山元町は約66km²と、およそ1.8倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は亘理郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧山下村の区域には山下駅(常磐線)があります。旧坂元村の区域には坂元駅(常磐線)があります。

21920年の町村の数
1回合併・編入の回数
66km²今の面積
1955年いちばん新しい合併

「山元町」という名前

町の名は、1955年(昭和30年)に合併した山下村と坂元村の名から一字ずつ取って付けられたとされています。山下の「山」と、坂元の「元」です。山下村と坂元村は、どちらも1889年(明治22年)の町村制で発足した村で、今も町は北部の山下地区と南部の坂元地区、そして海沿いの地区に分けられます。

まちの成り立ち

江戸時代、坂元は伊達氏の家臣の大條氏が治めた土地で、1616年(元和2年)から幕末まで坂元城が拠点でした。1868年(明治元年)の戊辰戦争では、駒ヶ嶺城が落ちたあと、奥羽越列藩同盟の浜通り方面の本営が坂元城に置かれました。

1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、亘理郡に山下村と坂元村が発足しました。山下村は八手庭村・大平村・小平村・鷲足村・山寺村・浅生原村・高瀬村の区域、坂元村は坂元本郷と真庭村の区域です。1955年(昭和30年)2月1日に山下村と坂元村が合併して、山元町が発足しました。

2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災では、大津波で沿岸の集落が壊滅的な被害を受け、常磐線の町内区間が不通になりました。2016年(平成28年)12月10日に常磐線が運転を再開し、山側に移った山下駅と坂元駅が開業しました。2019年(令和元年)5月には町役場の新しい庁舎で業務が始まりました。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、亘理郡に山下村と坂元村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1955年2月1日昭和30年亘理郡の山下村と坂元村が合併して山元町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

山元町1955〜今
山下村1889〜1955同じ名前の駅:山下駅
坂元村1889〜1955同じ名前の駅:坂元駅

参考にした資料