今の大河原町
宮城県南部の柴田郡にある町です。町の中心を白石川が流れ、冬には多くの渡り鳥が飛来します。川の両岸には、隣の柴田町にかけて桜並木が続き、「一目千本桜」として親しまれています。奥州街道の宿場町として栄えた町で、「仙南の商都」とも呼ばれます。県の地域区分では仙南地域に含まれ、県の機関や裁判所なども置かれています。
今の大河原町の区域の人口は、2020年の国勢調査で23,571人です。今の区域で数えた1980年の19,332人とくらべると21.9%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は27.9%です。
主な産業:商業のほか、梅やゆずなどの農業、食品づくりが行われています。
特産品・名産
- 梅「梅の里」とされ、町の振興作物
- ゆず自生の北限とされる「北限のゆず」
- 和豚もちぶた町で飼育されるブランド豚
見どころ・祭り
- 白石川堤一目千本桜柴田町まで続くソメイヨシノの並木
- 大高山神社白鳥大明神をまつる神社
- 白石川冬に白鳥が飛来する川
木梅花桜鳥白鳥大河原町の木・花・鳥
大河原町のなりたち
大河原町(おおがわらまち)は、宮城県仙南地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。金ケ瀬村・大河原町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の大河原町になりました。
今の名前「大河原町」は、1920年にあった大河原町の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の大河原町が約14km²だったのに対し、今の大河原町は約26km²と、およそ1.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は柴田郡に属していました。
「大河原町」という名前
「大河原」は「大きな川のある原」という意味ではなく、「多くの川が合流する(逢う)原」という意味で、「逢河原」が「大河原」に変わったとされています。この地には奥州街道の宿場「大河原宿」が置かれ、人や物が行き交う場所となりました。この宿場が、今の大河原の町のもとになりました。
まちの成り立ち
大河原は奥州街道の宿場町として栄え、明治時代以降は国や県の出先機関が置かれる官庁の町として発展しました。1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、大河原村・大谷村・小山田村・福田村が合わさり、柴田郡に大河原町が発足しました。となりには平村・堤村・新寺村が合わさった金ヶ瀬村ができました。
1917年(大正6年)から1923年(大正12年)にかけて、白石川の治水工事が行われ、川の流れがまっすぐに直され堤防が築かれました。町出身の高山開治郎は桜の苗木を贈り、新しい堤防に植えられました。これが今の「一目千本桜」の始まりで、桜並木はとなりの柴田町まで続いています。
1956年(昭和31年)9月30日、大河原町と金ヶ瀬村が合併し、新しい大河原町が発足しました。平成の時代には、2002年(平成14年)に柴田町・村田町と合併協議会を設けましたが、協議はまとまらず、大河原町は単独の町として続いています。白石川には毎年冬に白鳥などの渡り鳥がやってきます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、柴田郡の大河原村・大谷村・小山田村・福田村が合併して大河原町が、平村・堤村・新寺村が合併して金ヶ瀬村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年柴田郡の大河原町と金ヶ瀬村が合併し、改めて大河原町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。