今の相模原市
神奈川県北部で、相模川沿いの台地から津久井地域へ広がる市です。台地では新田の開発が進み、近代には軍の施設が集まりました。戦後は工場の誘致と住宅地の拡大によって都市化が進みました。西側の津久井地域は山や湖を含み、甲州街道の宿場や養蚕の歴史を持っています。2006年と2007年の編入で両地域がひとつの市となりました。緑区・中央区・南区が、台地と山間の異なる暮らしを受け継いでいます。
今の相模原市の区域の人口は、2020年の国勢調査で725,493人です。今の区域で数えた1980年の494,255人とくらべると46.8%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は26.3%です。
主な産業:内陸の工業都市として発展し、山間部では農業や観光も営まれています。
特産品・名産
- かんこ焼津久井地域に伝わる郷土食
- 津久井在来大豆津久井地域で受け継がれる大豆
- 藤野のゆず山麓で栽培され加工品にも使われる
見どころ・祭り
- 勝坂遺跡「勝坂式土器」の名の起点となる遺跡
- 田名向原遺跡旧石器時代の住居状遺構が見つかった国史跡
- 相模湖緑区西部に広がる水源の湖
木けやき花アジサイ鳥ヒバリ相模原市の木・花・鳥
相模原市のなりたち
相模原市(さがみはらし)は、神奈川県県央地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、29の町村がありました。中野村・三ケ木村・又野村・太井村・溝村・相原村・大沢村・大野村・田名村・麻溝村・新磯村・沢井村・吉野町・小淵村・小原町・千木良村・与瀬町・内郷村・川尻村・三沢村・湘南村・串川村・青野原村・鳥屋村・青根村・佐野川村・日連村・名倉村・牧野村です。これらの町村が、10回の合併や編入を経て、今の相模原市になりました。
今の名前「相模原市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの29の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の鳥屋村が約41km²だったのに対し、今の相模原市は約327km²と、およそ8.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は津久井郡・高座郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、津久井郡は2007年(平成19年)3月11日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧与瀬町の区域には与瀬駅(中央本線)があります。
「相模原市」という名前
相模原の市名は、1941年に2町6村が合併して生まれた相模原町の名を受け継いでいます。1939年から1941年の合併・市制をめぐる協議では、「相武台市」「相武市」「相模市」「相模原市」などが候補となりました。陸軍士官学校は、天皇から与えられた呼称である「相武台」を市名に使うことに反対し、相模原の名が選ばれました。合併時は町として発足し、1954年に市となりました。津久井地域との合併協議でも市名の変更が提案されましたが、相模原市の名称が続いています。
まちの成り立ち
相模原市の成り立ちには、台地の町村と津久井地域の町村という二つの流れがあります。台地側では1889年に相原村、大沢村、大野村、田名村、溝村、麻溝村、新磯村、座間村が発足しました。溝村は1926年に上溝町、座間村は1937年に座間町となります。
軍の施設が台地に集まる中、1941年にこれら2町6村が合併して相模原町が生まれました。ただし座間の区域は1948年に分かれ、再び座間町となりました。残った相模原町は1954年11月20日に市制を施行します。戦後は工場の誘致や住宅地の拡大が進み、人口が大きく増えました。
津久井地域でも町村の再編が続きました。1909年には青山村、根小屋村、長竹村が串川村となり、中野や吉野、与瀬にも町が生まれました。1955年には相模湖町、城山町、津久井町、藤野町の4町にまとまります。三沢村は分割され、中沢地区が城山町、三井地区が津久井町に入りました。一方、吉野町は1954年の合併を経て、翌年に周囲の村と藤野町をつくっています。
2006年には津久井町と相模湖町、2007年には城山町と藤野町が相模原市に編入されました。段階を分けた編入で、市は台地の住宅地や工業地だけでなく山々や湖を含む地域へ広がりました。2010年には政令指定都市となり、緑・中央・南の3区が設けられました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制により、高座郡に相原村、大沢村、大野村、田名村、溝村、麻溝村、新磯村、座間村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1889年4月1日明治22年町村制により、津久井郡に川尻村、湘南村、三沢村、中野村、太井村、又野村、三ヶ木村、青山村、根小屋村、長竹村、鳥屋村、青野原村、青根村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1889年4月1日明治22年町村制により、津久井郡に内郷村、千木良村、小原町、与瀬駅、吉野駅、小淵村、沢井村、日連村、名倉村、牧野村、佐野川村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1909年5月1日明治42年青山村、根小屋村、長竹村が合併し、串川村が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1913年4月1日大正2年与瀬駅が町制を施行し、与瀬町となった。種類:町制施行 出典:www.city.sagamihara.kanagawa.jp
- 1913年4月1日大正2年吉野駅が町制を施行し、吉野町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1925年1月1日大正14年中野村が町制を施行し、中野町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1925年7月1日大正14年旧中野町、太井村、又野村、三ヶ木村が合併し、新しい中野町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1926年1月1日大正15年溝村が町制を施行し、上溝町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1937年12月20日昭和12年座間村が町制を施行し、座間町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1941年4月29日昭和16年上溝町、座間町、相原村、大沢村、大野村、田名村、麻溝村、新磯村が合併し、相模原町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1948年9月1日昭和23年相模原町から旧座間町の区域が分かれ、座間町が再び発足した。種類:分割 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1954年7月15日昭和29年旧吉野町、小淵村、沢井村が合併し、新しい吉野町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1954年11月20日昭和29年相模原町が市制を施行し、相模原市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1955年1月1日昭和30年小原町、与瀬町、内郷村、千木良村が合併し、相模湖町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1955年4月1日昭和30年川尻村、湘南村、三沢村の中沢地区が合併し、城山町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1955年4月1日昭和30年中野町、串川村、鳥屋村、青野原村、青根村、三沢村の三井地区が合併し、津久井町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1955年7月20日昭和30年吉野町、日連村、名倉村、牧野村、佐野川村が合併し、藤野町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 2003年4月1日平成15年相模原市が中核市となった。種類:その他 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 2006年3月20日平成18年津久井町と相模湖町が相模原市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 2007年3月11日平成19年城山町と藤野町が相模原市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 2010年4月1日平成22年相模原市が政令指定都市となり、緑区、中央区、南区が設けられた。種類:その他 出典:www.city.sagamihara.kanagawa.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.pref.kanagawa.jp/documents/22831/haichibungo.pdf
- www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kankou/bunka/1022295/bunkazai/1010097.html
- www.city.sagamihara.kanagawa.jp/shisei/1026709/profile/gappei/tsukui_ninnikyogik
- www.city.sagamihara.kanagawa.jp/shisei/1026709/profile/seirei_shitei/index.html
- www.pref.kanagawa.jp/documents/112584/06youran.pdf
- ja.wikipedia.org/wiki/相模原市