今の三浦市
神奈川県の南東部、三浦半島の最南端にある市です。三崎は江戸時代から港町として栄え、その後の漁港整備が遠洋漁業基地としての発展につながりました。まぐろと大根に代表される、水産業と農業のあるまちです。海岸には城ヶ島や三浦海岸などがあり、小網代には森と湾が残ります。海辺ではヨットなども見られ、港の暮らしと農地の広がる地域が一つの市を形づくっています。
今の三浦市の区域の人口は、2020年の国勢調査で42,069人です。今の区域で数えた1980年の48,687人とくらべると13.6%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.0%です。
主な産業:三崎港を中心とした水産業と、大根やキャベツなどの農業が営まれています。
特産品・名産
- まぐろ三崎の水産物として知られる
- 大根三浦の農産物を代表する野菜
- キャベツ三浦半島の温暖な気候で栽培
見どころ・祭り
- 城ヶ島城ヶ島大橋で結ばれた島
- 小網代の森森・川・湿地・干潟が海へと続く地域
- 三浦海岸半島東側の海辺
木くろまつ花はまゆう鳥うみう三浦市の木・花・鳥
三浦市のなりたち
三浦市(みうらし)は、神奈川県横須賀三浦地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。初声村・南下浦村・三崎町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の三浦市になりました。
今の名前「三浦市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の南下浦村が約13km²だったのに対し、今の三浦市は約32km²と、およそ2.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は三浦郡に属していました。
「三浦市」という名前
市名には、三浦半島や三浦郡に使われてきた「三浦」の名が受け継がれています。1955年に三崎町・南下浦町・初声村が合併した際、新しい市の名が三浦市となりました。中世には三浦一族が活躍し、三崎には源頼朝ゆかりの御所が置かれました。現在の市域には、港町の三崎と、海岸沿いの南下浦・初声の農村地域が含まれています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、現在の市域には三浦郡の三崎町・南下浦村・初声村が発足しました。三崎は古くからの港町で、江戸時代ににぎわい、漁港として整備されていきました。海に面する港の地域と、半島の台地に広がる村々が、当初は三つの自治体に分かれていました。
1940年(昭和15年)4月1日には南下浦村が町制を施行し、南下浦町となりました。昭和の大合併では、1955年(昭和30年)1月1日に三崎町・南下浦町・初声村の2町1村が合併し、三浦市が発足しています。三崎町だけが市になったのではなく、半島南部の三つの自治体で新しい市をつくったものです。これ以降、ほかの自治体との合併は行っていません。
市ができた後も、海辺の交通は変わりました。1960年(昭和35年)に城ヶ島大橋が開通し、島と半島の間が橋で結ばれました。1966年(昭和41年)には京浜急行電鉄の三浦海岸駅が開業しています。港を基礎とした遠洋漁業のまちである一方、大根などの農産物でも知られます。三崎・南下浦・初声という旧自治体の名前は現在の地区名にも残り、港、海岸、農地を持つそれぞれの地域が、三浦市の中で暮らしをつないでいます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、三浦郡に三崎町・南下浦村・初声村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1940年4月1日昭和15年三浦郡南下浦村が町制を施行し、南下浦町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1955年1月1日昭和30年三浦郡三崎町・南下浦町・初声村が合併し、三浦市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。