今の清川村
神奈川県の北西部、東丹沢の山麓にある県内唯一の村です。村域の大部分は山林で、煤ヶ谷には小鮎川、宮ヶ瀬には中津川と早戸川が流れます。山と谷が続く地域に二つの地区が広がり、厚木市や秦野市、相模原市などに接しています。宮ヶ瀬ダムの完成によって生まれた宮ヶ瀬湖は、都市部への水の供給を支えるとともに、人々が自然にふれる場所にもなっています。
今の清川村の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,038人です。今の区域で数えた1980年の3,539人とくらべると14.2%減り、人口は1990年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.2%です。
主な産業:茶や野菜の農業、養豚と宮ヶ瀬湖周辺の観光が営まれています。
特産品・名産
- 清川茶村のせん茶を使うブランド認定品
- 清川恵水ポークみそ漬け村で育てた豚を使う認定品
- 清川茶そば清川茶を使うブランド認定品
見どころ・祭り
- 宮ヶ瀬湖宮ヶ瀬ダムの建設で生まれた湖
- 道の駅 清川村の特産品や地域情報を紹介
- 別所の湯村のふれあいセンターの入浴施設
木もみじ花みつばつつじ鳥うぐいす清川村の木・花・鳥
清川村のなりたち
清川村(きよかわむら)は、神奈川県県央地域の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。宮ケ瀬村・煤ケ谷村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の清川村になりました。
今の名前「清川村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の煤ケ谷村が約39km²だったのに対し、今の清川村は約71km²と、およそ1.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は愛甲郡に属していました。
「清川村」という名前
「清川」は、煤ヶ谷村と宮ヶ瀬村の合併に際して選ばれた名前です。山に生きる村として、川の清らかな自然を長く保つという願いが込められています。村内には小鮎川、中津川、早戸川が流れます。旧村のどちらかの名をそのまま採るのではなく、二つの地域に共通する山と川の環境を表す名で、新しい村の歩みを始めました。
まちの成り立ち
清川村の前身は、愛甲郡の煤ヶ谷村と宮ヶ瀬村です。両村は1884年(明治17年)に連合戸長役場を置き、1889年(明治22年)の町村制後も「煤ヶ谷村外一ヶ村組合」として行政を共同で行いました。一つの役場を共有していても、二つの村はそれぞれ独立した自治体でした。1956年(昭和31年)9月30日に両村が合併し、清川村が発足しました。
村が生まれたころは、林業を中心に炭焼きや養蚕などが営まれていました。丹沢の山々と、山あいを流れる川が暮らしの舞台でした。煤ヶ谷は小鮎川の流域にあり、宮ヶ瀬は中津川や早戸川の流域にあります。同じ村となった後も、この二つの地区の名は残っています。
大きな転機は宮ヶ瀬ダムの建設でした。1969年(昭和44年)に計画が発表され、宮ヶ瀬地区の集落が移転の対象となりました。1981年(昭和56年)には工事に関する調印が行われています。2000年(平成12年)12月にダムが完成し、山あいの景観は宮ヶ瀬湖のある姿に変わりました。湖の周辺には人々が訪れる空間が整備されています。清川村はその後もほかの自治体と合併せず、神奈川県で唯一の村として続いています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、愛甲郡煤ヶ谷村・宮ヶ瀬村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1956年9月30日昭和31年愛甲郡煤ヶ谷村・宮ヶ瀬村が合併し、清川村が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.kiyokawa.kanagawa.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。