今の真鶴町
相模湾へ突き出す真鶴半島と、その北側の地域からなる町です。海へ向かう斜面に真鶴地区と岩地区の町並みが広がり、港とともに歩んできました。北側の岩沢川沿いには森林が多く、町内には小松石の採掘場や樹園地もあります。漁業と石材業が土地の資源に結びつき、森林と海岸が近接する景観を形づくっています。温暖な気候のもと、港の暮らしと半島の自然が身近にある町です。
今の真鶴町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,722人です。今の区域で数えた1980年の9,968人とくらべると32.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は43.5%です。
主な産業:漁業と小松石の採掘などの石材業、海辺の観光が営まれています。
特産品・名産
- 小松石町内で採掘されてきた石材
- 鮮魚真鶴漁港で水揚げされる地物魚
- 干物港町で作られる水産加工品
見どころ・祭り
- 三ツ石真鶴岬の沖に並ぶ岩
- 貴船神社港の近くに鎮座する社
- お林展望公園真鶴半島の林にある公園
木クスノキ花ハマユウ鳥イソヒヨドリ真鶴町の木・花・鳥
真鶴町のなりたち
真鶴町(まなづるまち)は、神奈川県県西地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。岩村・真鶴村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の真鶴町になりました。
今の名前「真鶴町」は、1920年にあった真鶴村の名前を受け継いでいます。ほかの1の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の真鶴村が約2km²だったのに対し、今の真鶴町は約7km²と、およそ2.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は足柄下郡に属していました。
「真鶴町」という名前
真鶴町は、明治の町村制で発足した真鶴村から続く名前です。1927年(昭和2年)に真鶴村が町になり、1956年(昭和31年)に岩村と合併した新しい町も、真鶴町の名を引き継ぎました。地名を決めた詳しい経緯ははっきりしていません。真鶴半島と岩地区を含み、港に結びついた暮らしが続いています。町章には鶴の形が使われ、羽の部分は港、頭の部分は港へ入る船を表しています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、足柄下郡に真鶴村と岩村が発足しました。海岸の集落は漁業と港に結びつき、内陸側には石材を採る場所や樹園地が広がりました。真鶴半島とその周辺の土地は、海の暮らしと山の資源を合わせもつ地域です。
1927年(昭和2年)10月1日、真鶴村が町制を施行し、真鶴町となりました。岩村は、この時には別の自治体として残りました。現在の町は、この二つの町村の区域を受け継いでいます。真鶴と岩という呼び名は、単なる町内の方角ではなく、合併前の自治体の歴史につながる名前です。
昭和の大合併で、1956年(昭和31年)9月30日に真鶴町と岩村が合併し、新しい真鶴町が生まれました。旧真鶴町がそのまま岩村を編入したものではなく、二つの町村が一つの自治体をつくった新設合併です。
現在も真鶴地区と岩地区の町並みが海へ向かう斜面に広がります。町の木に選ばれたクスノキや、半島の森林が海辺の景観を形づくっています。小松石の採掘や漁業は、地域の地形や自然の資源に結びついた産業です。港と石の町として歩んできた歴史が、現在の町の姿にも伝わっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、足柄下郡真鶴村・岩村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1927年10月1日昭和2年足柄下郡真鶴村が町制を施行し、真鶴町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1956年9月30日昭和31年足柄下郡真鶴町・岩村が合併し、改めて真鶴町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。