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北広島町きたひろしまちょう

1920年には14の町村だった区域が、6回の合併・編入を経て、今の北広島町になりました。

14町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の北広島町

広島県の北西部にある山県郡の町で、島根県との県境に中国山地の山々が連なります。太田川と江の川の源流域にあたり、冬は根雪となる豪雪地帯です。高原に町が点在し、芸北地域にはスキー場が多くあります。吉川氏の城館跡が残り、田植えの行事「壬生の花田植」で知られます。農業と林業、観光が営まれています。

今の北広島町の区域の人口は、2020年の国勢調査で17,763人です。今の区域で数えた1980年の23,743人とくらべると25.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.6%です。

17,763人人口(2020年)
−25.2%1980年からの増減
646.2km²面積(国土地理院)
27人/km²人口密度
39.6%65歳以上の割合
23,7431980199020052020
15歳未満 10.3%15〜64歳 50.0%65歳以上 39.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:農業と林業のほか、スキー場などの観光が営まれています。

特産品・名産

  • 農産物野菜、米、ゆずなどが挙げられる
  • 八重の露町内の地酒
  • 老亀町の地酒

見どころ・祭り

  • 吉川氏城館跡日山城跡などからなる国の史跡
  • 壬生の花田植国の重要無形民俗文化財の田植えの行事
  • 鉄のふるさと公園坤束製鉄遺跡に整えられた公園
  • 聖湖キャンプ場町内のキャンプ場の一つ

木テングシデ花ササユリ鳥ブッポウソウ北広島町の木・花・鳥

北広島町のなりたち

北広島町(きたひろしまちょう)は、広島県安芸の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、14の町村がありました。川迫村・壬生町・八重村・南方村・本地村・新庄村・原村・都谷村・吉坂村・中野村・山廻村・雄鹿原村・八幡村・大朝村です。これらの町村が、6回の合併や編入を経て、今の北広島町になりました。

今の名前「北広島町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの14の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の中野村が約77km²だったのに対し、今の北広島町は約635km²と、およそ8.2倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は山県郡に属していました。

141920年の町村の数
6回合併・編入の回数
646km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

「北広島町」という名前

北広島町は、2005年(平成17年)2月1日に山県郡の大朝町・千代田町・芸北町・豊平町の4町が合わさって生まれた町です。町の名がどのような考えで選ばれたのかは、はっきりしていません。町は広島市安佐北区・安芸高田市・安芸太田町と接し、北は島根県の益田市・浜田市・邑南町と境を接します。

まちの成り立ち

北広島町の区域は、昔から山県郡に属してきました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、大朝村・新庄村・壬生村・八重村・八幡村など14の村が生まれました。壬生村は1904年(明治37年)、八重村は1922年(大正11年)、大朝村は1926年に町制を施行し、1928年(昭和3年)には山廻村が美和村に名前を変えています。1954年(昭和29年)11月3日には八重町・壬生町・南方村・本地村・川迫村が合わさって千代田町が生まれました。1955年(昭和30年)3月31日には大朝町と新庄村が合わさって新しい大朝町に、1956年3月31日には吉坂村・原村・都谷村が合わさって豊平町に、9月30日には八幡村・雄鹿原村・中野村・美和村が合わさって芸北町になりました。2005年(平成17年)2月1日、この4町が合わさって今の北広島町が生まれました。町としては中国地方で最も広い面積をもつとされます。中国山地の山々が島根県との境に連なり、冬は根雪となる豪雪地帯です。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、山県郡に八幡村・雄鹿原村・中野村・山廻村・大朝村・新庄村・川迫村・八重村・壬生村・南方村・本地村・吉坂村・原村・都谷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1904年5月1日明治37年山県郡壬生村が町制を施行して壬生町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  3. 1922年1月1日大正11年山県郡八重村が町制を施行して八重町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1926年1月1日大正15年山県郡大朝村が町制を施行して大朝町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  5. 1928年4月1日昭和3年山県郡山廻村が美和村に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
  6. 1953年12月1日昭和28年島根県那賀郡波佐村の一部(波佐字滝平の一部)が山県郡八幡村に編入された。種類:県境を越えた編入 出典:Wikipedia
  7. 1954年11月3日昭和29年山県郡の八重町・壬生町・南方村・本地村・川迫村が合併して千代田町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  8. 1955年3月31日昭和30年山県郡の大朝町と新庄村が合併し、改めて大朝町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  9. 1956年3月31日昭和31年山県郡の吉坂村・原村・都谷村が合併して豊平町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  10. 1956年9月30日昭和31年山県郡の八幡村・雄鹿原村・中野村・美和村が合併して芸北町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  11. 2005年2月1日平成17年山県郡の芸北町・大朝町・千代田町・豊平町が合併して北広島町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

北広島町2005〜今
大朝村→大朝町1889〜2005
新庄村1889〜1955
千代田町1954〜2005
川迫村1889〜1954
壬生町1904〜1954
八重村→八重町1889〜1954
南方村1889〜1954
本地村1889〜1954
芸北町1956〜2005
中野村1889〜1956
山廻村→美和村1889〜1956
雄鹿原村1889〜1956
八幡村1889〜1956
豊平町1956〜2005
原村1889〜1956
都谷村1889〜1956
吉坂村1889〜1956

参考にした資料