今の三次市
広島県の北部、中国山地と吉備高原の間にある三次盆地に開けた市です。江の川の本流の可愛川と、馬洗川、西城川、神野瀬川が集まり、高谷山の霧の海が名所です。江戸時代は三次藩の城下町で、旧街道沿いには卯建のある商家が並びます。マツダのテストコースや電機・食品の工場があり、ピオーネの栽培やワインづくりも行われています。
今の三次市の区域の人口は、2020年の国勢調査で50,681人です。今の区域で数えた1980年の59,083人とくらべると14.2%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.8%です。
主な産業:ピオーネの栽培とワインづくりが盛んで、自動車・電機・食品などの工場もあります。
特産品・名産
- 三次ピオーネぶどうのピオーネ。規格外品でワインも造られる
- 三次ワイン広島三次ワイナリーで造られるワイン
- 三次人形江戸時代から続く県内唯一の人形窯元がある
見どころ・祭り
- 三次もののけミュージアム『稲生物怪録』に関する資料と妖怪資料を収蔵
- 尾関山公園桜ともみじの名所
- 広島県立みよし風土記の丘浄楽寺・七ツ塚古墳群など古墳群の公園
- 三次鵜飼馬洗川で行われる。県の無形民俗文化財
- 常清滝日本の滝百選に選ばれた滝
木モミジ花サクラ鳥セグロセキレイ、ブッポウソウ三次市の木・花・鳥
三次市のなりたち
三次市(みよしし)は、広島県備後の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、25の町村がありました。萩原村・八次村・秋越村・八幡村・和田村・河内村・粟屋村・十日市町・酒河村・神杉村・田幸村・上川村・板木村・津名村・上山村・川地村・川西村・広定村・君田村・布野村・作木村・三良坂村・吉舎町・甲奴村・三次町です。これらの町村が、12回の合併や編入を経て、今の三次市になりました。
今の名前「三次市」は、1920年にあった三次町の名前を受け継いでいます。ほかの24の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は世羅郡・双三郡・甲奴郡・高田郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、双三郡は2004年(平成16年)4月1日に廃止されました、甲奴郡は2005年(平成17年)3月31日に廃止されました、高田郡は2004年(平成16年)3月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧八次村の区域には八次駅(芸備線)があります。旧粟屋村の区域には粟屋駅(三江南線)があります。旧神杉村の区域には神杉駅(芸備線)があります。旧上川村の区域には上川立駅(芸備線)があります。旧三良坂村の区域には三良坂駅(福塩線)があります。
「三次市」という名前
「三次(みよし)」は古代からの郡の名にもとづく地名で、由来にはいくつかの説があります。『和名抄』の三次郡にある上次・播次・下次の三つの郷を合わせて三次と呼んだという説や、川が集まる土地を表す「水寄(みよせ)」がなまったという説などが伝わっています。
まちの成り立ち
三次の中心部は、江の川(可愛川)に馬洗川・西城川・神野瀬川が集まる盆地で、江戸時代には広島藩の支藩である三次藩の城下町がありました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、三次郡に三次町や原村・八次村など、三谿郡に吉舎村や三良坂村などが生まれ、1898年に二つの郡がまとまって双三郡となりました。原村は1917年(大正6年)に町制を施行して十日市町となり、1937年に八次村と合わさっています。吉舎村は1920年、三良坂村は1921年に町になりました。1954年(昭和29年)3月31日、三次町・十日市町と酒河村・河内村・和田村・神杉村・田幸村・粟屋村が合わさって三次市が生まれました。1955年3月31日には、板木村と世羅郡の津名村・上山村の一部が合わさって三和町が、甲奴郡では甲奴村と上川村の大部分が合わさって甲奴町が生まれています。三次市には1956年に川地村、1958年に川西村が編入されました。2004年(平成16年)4月1日、三次市と君田村・布野村・作木村・吉舎町・三良坂町・三和町・甲奴町が合わさって今の三次市が生まれ、双三郡はなくなりました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、三次郡に三次町・板木村・川地村・酒河村・原村・八次村・河内村・君田村・布野村・作木村、三谿郡に八幡村・吉舎村・萩原村・三良坂村・和田村・神杉村・田幸村・川西村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、高田郡に粟屋村・甲立村、世羅郡に広定村・津名村・上田村、甲奴郡に福田村・西野村・梶田村・本郷村・太郎丸村・知和村・安田村・抜湯村・有田村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1891年6月10日明治24年三谿郡川西村の一部(糸井)が田幸村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1895年10月1日明治28年甲奴郡の福田村・西野村・梶田村・本郷村が合併して甲奴村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1896年11月7日明治29年世羅郡上田村が上山村に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1898年10月1日明治31年郡制の施行のため、三次郡と三谿郡の区域をあわせて双三郡が発足した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1912年10月1日大正元年甲奴郡の太郎丸村・知和村・安田村・抜湯村・有田村が合併して上川村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1917年5月1日大正6年双三郡原村が町制を施行し、十日市町に改称した。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1920年10月1日大正9年双三郡吉舎村が町制を施行して吉舎町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1921年6月1日大正10年双三郡三良坂村が町制を施行して三良坂町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1932年1月1日昭和7年双三郡の三良坂町と萩原村が合併し、改めて三良坂町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1937年3月1日昭和12年双三郡の十日市町と八次村が合併し、改めて十日市町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1948年12月1日昭和23年双三郡河内村の一部(日下・三原と山家の一部)が三次町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1950年4月1日昭和25年高田郡粟屋村が双三郡に所属を変えた。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1950年9月1日昭和25年高田郡甲立町の一部(秋町)が双三郡川地村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1953年2月11日昭和28年双三郡の吉舎町と八幡村が合併し、改めて吉舎町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年双三郡の三次町・十日市町・酒河村・河内村・和田村・神杉村・田幸村・粟屋村が合併し、市制を施行して三次市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年11月3日昭和29年三次市の一部(皆瀬町と向江田町の一部)が双三郡三良坂町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年双三郡板木村と世羅郡津名村の一部(敷名)・上山村の大部分(上壱と飯田の一部)が合併して双三郡三和町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年甲奴郡上川村の一部(知和と安田・太郎丸の各一部)が双三郡吉舎町に編入され、上川村の残りと甲奴村が合併して甲奴町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年双三郡川地村が三次市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1958年2月11日昭和33年双三郡川西村が三次市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1958年10月10日昭和33年甲奴郡甲奴町と世羅郡広定村が合併し、改めて甲奴郡甲奴町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 2004年4月1日平成16年三次市と双三郡の君田村・布野村・作木村・吉舎町・三良坂町・三和町、甲奴郡甲奴町が合併し、新しい三次市が発足した。これにより双三郡がなくなった。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。