今の安芸高田市
広島県の北部にある市で、中国山地に囲まれ、小さな丘陵と盆地が帯状に連なります。江の川や可愛川、多治比川が流れ、分水嶺があって雨水が瀬戸内海側と日本海側に分かれます。戦国大名の毛利元就の本拠地として知られ、居城の郡山城の跡が残ります。農業のほか、地元の酒造りや神楽も盛んで、サッカー公園や温泉などの施設もあります。
今の安芸高田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で26,448人です。今の区域で数えた1980年の36,984人とくらべると28.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は42.1%です。
主な産業:シイタケやアスパラガス、ナシなどの農業と、日本酒などの加工品づくりが営まれています。
特産品・名産
- シイタケ市の農業で作られる農産物
- 日本酒市内の蔵で造られる酒。「百万一心」など
- ハブソウ茶市の農産物を使った茶
見どころ・祭り
- 郡山城跡毛利氏の本拠地。国の史跡で日本100名城
- 猿掛城跡毛利元就の青年期の居城。国の史跡
- 毛利元就墓所毛利元就と一族の墓所
- 甲立古墳4世紀後半の大型前方後円墳。国の史跡
木桜花紫陽花安芸高田市の木・花
安芸高田市のなりたち
安芸高田市(あきたかたし)は、広島県安芸の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、20の町村がありました。高原村・戸島村・坂村・長田村・丹比村・可愛村・郷野村・有保村・刈田村・根野村・生桑村・北村・横田村・本村・甲立村・小田村・川根村・船佐村・来原村・吉田町です。これらの町村が、6回の合併や編入を経て、今の安芸高田市になりました。
今の名前「安芸高田市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの20の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の船佐村が約58km²だったのに対し、今の安芸高田市は約529km²と、およそ9.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は高田郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、高田郡は2004年(平成16年)3月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧甲立村の区域には甲立駅(芸備線)があります。旧船佐村の区域には船佐駅(三江南線)があります。旧吉田町の区域には吉田口駅(芸備線)があります。
「安芸高田市」という名前
安芸高田市の名は、安芸国と高田郡にちなんで付けられました。2004年(平成16年)3月1日に、高田郡の吉田町・八千代町・美土里町・高宮町・甲田町・向原町が合併して安芸高田市が発足し、高田郡はなくなりました。「高田」の地名自体の由来は、はっきりしていません。
まちの成り立ち
今の安芸高田市の区域は、昔から安芸国高田郡に属してきました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、吉田村や甲立村など20あまりの村が生まれ、吉田村は1896年(明治29年)に町制を施行して吉田町となりました。1926年(大正15年)に甲立村が町になり、1929年(昭和4年)には高原村が分かれて可愛村・郷野村・吉田町に入り、坂村・長田村・戸島村が合わさって向原村(1937年に町)が生まれました。戦後の1953年(昭和28年)には吉田町と丹比村・可愛村・郷野村が合わさって新しい吉田町となり、1954年には有保村の大部分が向原町に入りました。1955年(昭和30年)には刈田村と根野村が合わさって八千代村(1960年に町)ができ、1956年4月1日には横田村・本村・北村・生桑村が合わさって美土里町が、甲立町と小田村が合わさって甲田町が、9月30日には川根村・船佐村・来原村が合わさって高宮町が生まれました。2004年(平成16年)3月1日、吉田町・八千代町・美土里町・高宮町・甲田町・向原町の6町が合わさって安芸高田市が生まれ、高田郡はなくなりました。市は毛利元就の本拠地として知られ、郡山城跡などの史跡が残ります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、高田郡に吉田村・丹比村・可愛村・高原村・郷野村・刈田村・根野村・横田村・本村・北村・生桑村・川根村・来原村・船佐村・甲立村・小田村・戸島村・坂村・有保村・長田村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年5月21日明治29年高田郡吉田村が町制を施行して吉田町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1926年1月1日大正15年高田郡甲立村が町制を施行して甲立町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1929年3月1日昭和4年高田郡高原村が分割され、福原・小山・竹原が可愛村に、下入江が郷野村に、国司が吉田町に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1929年4月1日昭和4年高田郡の坂村・長田村・戸島村が合併して向原村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1937年4月1日昭和12年高田郡向原村が町制を施行して向原町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1950年9月1日昭和25年高田郡甲立町の一部(秋町)が双三郡川地村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1953年4月1日昭和28年高田郡の吉田町・丹比村・可愛村・郷野村が合併し、改めて吉田町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年高田郡有保村が分割され、有留の一部が高南村に、残りが向原町に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年高田郡の刈田村と根野村が合併して八千代村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年4月1日昭和31年高田郡の横田村・本村・北村・生桑村が合併して美土里町が、甲立町と小田村が合併して甲田町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年高田郡の川根村・船佐村・来原村が合併して高宮町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1960年4月1日昭和35年高田郡八千代村が町制を施行して八千代町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 2004年3月1日平成16年高田郡の吉田町・八千代町・美土里町・高宮町・甲田町・向原町が合併し、市制を施行して安芸高田市が発足した。これにより高田郡がなくなった。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。