今の庄原市
広島県の北東部、中国山地にある市で、東は岡山県、北は島根県・鳥取県に接します。比婆山や道後山などの山々が連なり、西城川・比和川は江の川に、東城川・帝釈川は高梁川に注ぎます。盆地と高原に町が点在し、稲作や和牛の飼育が古くから営まれてきました。石灰岩地帯の東城、神話の伝わる比婆山、ろう石を産する勝光山など、地域ごとに個性があります。
今の庄原市の区域の人口は、2020年の国勢調査で33,633人です。今の区域で数えた1980年の53,506人とくらべると37.1%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は43.6%です。
主な産業:稲作や比婆牛などの農畜産業が中心で、ろう石や石灰石の採掘も行われています。
特産品・名産
- 比婆牛庄原で育てられてきた和牛
- ワニ料理サメを「ワニ」と呼び、刺身などで食べる郷土料理
- りんご高野地域などで栽培され、りんご狩りもできる
見どころ・祭り
- 帝釈峡帝釈川がつくった峡谷で、国の名勝
- 比婆山伊邪那美命の御陵の伝説が残る山
- 国営備北丘陵公園四季の花が楽しめる国営の公園
- 上野公園桜の名所として知られる公園
木ブナ花サクラ庄原市の木・花
庄原市のなりたち
庄原市(しょうばらし)は、広島県備後の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、25の町村がありました。美古登村・本村・峰田村・八鉾村・山内北村・高村・山内東村・山内西村・敷信村・上高野山村・下高野山村・領家村・田総村・小奴可村・八幡村・田森村・帝釈村・久代村・新坂村・口北村・口南村・比和村・西城町・東城町・庄原町です。これらの町村が、12回の合併や編入を経て、今の庄原市になりました。
今の名前「庄原市」は、1920年にあった庄原町の名前を受け継いでいます。ほかの24の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は比婆郡・甲奴郡・神石郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、甲奴郡は2005年(平成17年)3月31日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧小奴可村の区域には小奴可駅(芸備線)があります。旧東城町の区域には東城駅(芸備線)があります。
「庄原市」という名前
「庄原」という地名の由来は、はっきりしていません。中世には市の南部に地毗荘(じびのしょう)などの荘園があり、近世の初めごろから今の市街地が市場町として育ったとされます。1954年(昭和29年)に庄原町が周りの村と合わさって市になったとき庄原市の名が生まれ、2005年(平成17年)の合併のあとも引き継がれました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の市域には三上郡の庄原村、奴可郡の西城村・東城村、恵蘇郡の比和村・高野山村など、たくさんの村が生まれました。1898年(明治31年)には西城村と東城村が町制を施行し、10月1日には奴可・三上・恵蘇の3郡がまとまって比婆郡となり、同じ日に庄原村が庄原町になりました。高野山村は1902年に上高野山村と下高野山村に分かれ、甲奴郡では1912年に田総村、1913年に領家村が生まれています。1933年(昭和8年)に比和村が町制を施行し、1942年には本村と峰田村が本田村に、西城町と美古登村が新しい西城町になりました。1954年(昭和29年)3月31日、庄原町と高村・本田村・敷信村・山内東村・山内西村・山内北村が合わさって庄原市が生まれ、同じ日に西城町は八鉾村と合わさりました。1955年には高野町(1月)、総領町(3月)が生まれ、4月1日には口南村と口北村が口和村に、東城町と周りの5村、神石郡新坂村の一部が新しい東城町になりました。口和村は1960年(昭和35年)に町制を施行しています。2005年(平成17年)3月31日、庄原市と比和町・西城町・東城町・高野町・口和町・総領町が合わさって今の庄原市が生まれ、比婆郡と甲奴郡はなくなりました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、三上郡に庄原村・高村・本村・峰田村・敷信村、奴可郡に西城村・美古登村・八鉾村・小奴可村・八幡村・田森村・東城村・久代村・帝釈村、恵蘇郡に山内東村・山内西村・口南村・口北村・高野山村・比和村・山内北村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、甲奴郡に稲草村・下領家村・木屋村・五箇村・黒目村・亀谷村・上領家村・中領家村が、神石郡に新坂村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1898年2月10日明治31年奴可郡の西城村と東城村が町制を施行し、西城町と東城町になった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1898年10月1日明治31年郡制の施行のため、奴可郡・三上郡・恵蘇郡の区域をあわせて比婆郡が発足した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1898年10月1日明治31年比婆郡の発足と同じ日に、庄原村が町制を施行して庄原町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1902年6月20日明治35年比婆郡高野山村が分割され、上高野山村と下高野山村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1912年1月1日明治45年甲奴郡の稲草村・下領家村・木屋村が合併して田総村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1913年2月1日大正2年甲奴郡の五箇村・黒目村・亀谷村・上領家村・中領家村が合併して領家村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1933年4月1日昭和8年比婆郡比和村が町制を施行して比和町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1942年2月11日昭和17年比婆郡の本村と峰田村が合併して本田村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1942年2月11日昭和17年比婆郡の西城町と美古登村が合併し、改めて西城町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1953年12月1日昭和28年比婆郡八鉾村の一部(油木の一部)が島根県仁多郡八川村に編入された。種類:県境を越えた編入 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年比婆郡の西城町と八鉾村が合併し、改めて西城町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年比婆郡の庄原町・高村・本田村・敷信村・山内東村・山内西村・山内北村が合併し、市制を施行して庄原市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年比婆郡の上高野山村と下高野山村が合併して高野町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年甲奴郡の領家村と田総村が合併して総領町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年比婆郡の口南村と口北村が合併して口和村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年比婆郡の東城町・小奴可村・八幡村・田森村・久代村・帝釈村と神石郡新坂村の一部(新免・三坂の各一部)が合併し、改めて東城町が発足した。新坂村の残りは神石郡油木町に加わった。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1960年4月1日昭和35年比婆郡口和村が町制を施行して口和町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1965年4月1日昭和40年庄原市の一部(濁川町字藤根と字戸谷山の一部)が比婆郡口和町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2005年3月31日平成17年庄原市と比婆郡の西城町・東城町・口和町・高野町・比和町、甲奴郡総領町が合併し、新しい庄原市が発足した。これにより比婆郡と甲奴郡がなくなった。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。