今の府中市
広島県の南東部、備後地方の内陸にある市です。盆地の中を一級河川の芦田川が流れ、律令時代に備後国府が置かれたとされる地域です。旧上下町は江戸時代に幕府の領地として栄え、白壁の町並みが残ります。江戸時代から家具づくりが盛んで、機械や金属、化学製品の工場もあり、内陸の工業都市として発展してきました。
今の府中市の区域の人口は、2020年の国勢調査で37,655人です。今の区域で数えた1980年の56,209人とくらべると33.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.2%です。
主な産業:府中タンスなどの家具づくりのほか、機械・金属製品や化学製品の製造が盛んです。
特産品・名産
- 府中味噌約400年の歴史を持つ味噌
- 府中家具江戸時代後期から続く家具づくり。桐のタンスが知られる
- 府中焼きミンチ肉を使うお好み焼き
見どころ・祭り
- 備後国府律令時代の備後国の国府の跡。出土品は資料館に収蔵
- 河佐峡芦田川上流の峡谷
- 上下の白壁の町並み天領として栄えた上下の町並み
- 翁座大正時代の木造芝居小屋。国の登録有形文化財
- 恋しき1872年創業の旅館で、国の登録有形文化財
木さくら花あじさい府中市の木・花
府中市のなりたち
府中市(ふちゅうし)は、広島県備後の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、16の町村がありました。出口町・吉野村・階見村・矢野村・清岳村・岩谷村・広谷村・下川辺村・国府村・栗生村・阿字村・大正村・河佐村・諸田村・上下町・府中町です。これらの町村が、9回の合併や編入を経て、今の府中市になりました。
今の名前「府中市」は、1920年にあった府中町の名前を受け継いでいます。ほかの15の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は御調郡・甲奴郡・芦品郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、御調郡は2005年(平成17年)3月28日に廃止されました、甲奴郡は2005年(平成17年)3月31日に廃止されました、芦品郡は2003年(平成15年)2月3日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧下川辺村の区域には下川辺駅(福塩線)があります。旧河佐村の区域には河佐駅(福塩線)があります。旧上下町の区域には上下駅(福塩線)があります。
「府中市」という名前
「府中」は、昔の国ごとの役所である国府が置かれた土地を表す言葉で、全国にある地名です。この地には奈良時代ごろに備後国の国府が置かれたと考えられており、市の名もこれにちなみます。東京都の府中市や安芸郡の府中町と区別して「備後府中」と呼ばれることもあります。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、芦田郡に府中市村や出口村、甲奴郡に上下村などが生まれました。府中市村は1896年(明治29年)に町制を施行して府中町となり、1898年には芦田郡と品治郡がまとまった芦品郡に属しました。府中町は1925年(大正14年)2月1日に出口町と合わさっています。1954年(昭和29年)3月31日、府中町と岩谷村・広谷村・国府村・栗生村・下川辺村が合わさって府中市が生まれました。同じ日に甲奴郡では、上下町と矢野村・清岳村・吉野村、階見村の大部分が合わさって新しい上下町ができています。1955年(昭和30年)3月31日には、阿字村と大正村が合わさって協和村となりました。1956年9月30日には河佐村と諸田村の残りの地域、御調町の三郎丸が府中市に入り、1975年(昭和50年)2月1日に協和村、2004年(平成16年)4月1日に上下町が編入されて、今の市域になりました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、芦田郡に府中市村・出口村・岩谷村・河佐村・阿字村・木野山村・行縢村・桑木村・広谷村・国府村・栗生村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、甲奴郡に上下村・矢野村・佐倉村・井永村・水永村・斗升村・岡屋村・階見村・二森村・小塚村・小堀村・有福村、御調郡に下川辺村・諸田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1895年10月1日明治28年甲奴郡の佐倉村・井永村・水永村・斗升村・岡屋村が合併して清岳村が、二森村・小塚村・小堀村・有福村が合併して吉野村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1896年6月3日明治29年芦田郡府中市村が町制を施行し、府中町に改称した。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1897年6月5日明治30年芦田郡出口村が町制を施行して出口町に、甲奴郡上下村が町制を施行して上下町になった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1898年10月1日明治31年郡制の施行のため、芦田郡と品治郡の区域をあわせて芦品郡が発足した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1913年2月1日大正2年芦品郡の木野山村・行縢村・桑木村が合併して大正村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1923年4月1日大正12年芦品郡栗生村の大字土生の一部が府中町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1925年2月1日大正14年芦品郡の府中町と出口町が合併し、改めて府中町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1949年4月1日昭和24年御調郡下川辺村が芦品郡に所属を変えた。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1949年7月1日昭和24年芦品郡大正村の一部(桑木)が神石郡高蓋村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年芦品郡の府中町・岩谷村・広谷村・国府村・栗生村・下川辺村が合併し、市制を施行して府中市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年3月31日昭和29年甲奴郡の上下町・矢野村・清岳村・吉野村と階見村の大部分が合併し、改めて上下町が発足した。階見村の残りは神石郡高蓋村に編入された。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年2月1日昭和30年御調郡諸田村の一部(大山田・下山田・千堂)が、新しく発足した御調町に加わった。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年3月17日昭和30年甲奴郡上下町の一部(斗升)が芦品郡の阿字村と大正村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年芦品郡の阿字村と大正村が合併して共和村が発足し、同じ日に協和村に改称した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年芦品郡河佐村と御調郡諸田村(小国・諸毛)が府中市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年御調郡御調町の一部(三郎丸)が府中市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1957年6月10日昭和32年世羅郡甲山町の一部(松崎)が甲奴郡上下町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1975年2月1日昭和50年芦品郡協和村が府中市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 2004年4月1日平成16年甲奴郡上下町が府中市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。