今の海田町
広島県の南西部、広島湾の東側にある町です。広島市と呉市、東広島市の間にあり、道路や鉄道が集まる交通の結節点です。町の中央を瀬野川が流れ、河口近くの旧海田市は平地が多く、山地の中の旧東海田は川沿いに平地が続きます。西国街道の宿場町として栄え、今は自動車関連の工場や商業施設が立地しています。
今の海田町の区域の人口は、2020年の国勢調査で29,636人です。今の区域で数えた1980年の29,934人とくらべると1.0%減り、人口は1990年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は24.0%です。
主な産業:マツダ関連の自動車関連工場が多く、商業施設も集まっています。
特産品・名産
- 海田ぶどうかつて町の特産だったぶどう
- ひまわり煎餅町の花ヒマワリにちなみ、町のシルバー人材センターが売り出した菓子
見どころ・祭り
- 千葉家書院・庭園町内の名所旧跡
- 西国街道海田市宿の街並み西国街道の宿場町の街並み
- 大師寺「海田のお大師さん」として知られる寺
- 海田総合公園町内の公園
木クスノキ花ヒマワリ海田町の木・花
海田町のなりたち
海田町(かいたちょう)は、広島県安芸の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。奥海田村・海田市町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の海田町になりました。
今の名前「海田町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は安芸郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧海田市町の区域には海田市駅(呉線)があります。
「海田町」という名前
「かいた」の名が記録に出てくるのは平安時代の終わりごろで、このころ「開田荘」という荘園がありました。南北朝時代には「海田荘」と書かれるようになります。のちに商業の中心が瀬野川の河口近くに移り、そこが「海田市」と呼ばれました。地名そのものの由来は、はっきりしていません。
まちの成り立ち
平安時代の終わりごろに開田荘という荘園があり、中世の商業の中心は瀬野川の日下橋付近の「二日市」でした。近世になると、瀬野川の土砂の堆積や干拓で陸地が広がり、中心は河口に近い海田市へ移ります。海田市は広島藩の蔵入り地で、西国街道の宿駅として整えられました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、安芸郡に海田市町と奥海田村が置かれました。戦後は、軍用地だった土地が返還され、企業の誘致が進みました。1952年(昭和27年)6月1日、奥海田村が町制を施行して名前を変え、東海田町となりました。1956年(昭和31年)9月30日、海田市町と東海田町が合併して海田町が発足しました。それ以降、町の区域は変わっていません。旧海田市町は瀬野川の河口にあって平地が多く、旧東海田町は山地の中で、平地は瀬野川沿いに限られます。2023年(令和5年)9月19日には町役場が移転し、新庁舎が開庁しました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、安芸郡に海田市町と奥海田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1952年6月1日昭和27年安芸郡奥海田村が町制を施行し、東海田町に改称した。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年安芸郡の海田市町と東海田町が合併して海田町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。