今の熊野町
広島市と呉市にはさまれた内陸の町で、四方を山に囲まれた熊野盆地に広がり、熊野川が流れています。農地が少ない土地で、江戸時代の後期から筆づくりが営まれてきました。町内には筆の製造や卸の会社が集まり、毛筆のほか化粧筆も作られています。毎年9月23日には筆まつりが開かれ、神社の参道の途中には筆を供養する筆塚があります。
今の熊野町の区域の人口は、2020年の国勢調査で22,834人です。今の区域で数えた1980年の24,252人とくらべると5.8%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.7%です。
主な産業:熊野筆と化粧筆の製造が中心の町で、農業も営まれています。
特産品・名産
- 熊野筆江戸時代後期に始まった筆づくり
- 化粧筆筆づくりの技術を生かした筆
- 黒豆町の特産品に挙げられる
見どころ・祭り
- 筆の里工房熊野町の美術博物館で、熊野筆の歴史も紹介
- 榊山神社宇佐八幡宮から勧請したとされる神社
- 熊野本宮社熊野本宮大社から勧請したとされる社
木梅花梅鳥うぐいす熊野町の木・花・鳥
熊野町のなりたち
熊野町(くまのちょう)は、広島県安芸の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに熊野町として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は安芸郡に属していました。
「熊野町」という名前
「熊野」という地名の由来は、はっきりしていません。町内の榊山神社の境内には、紀州の熊野本宮大社から神を迎えたと伝わる熊野本宮社があります。町は四方を山に囲まれた熊野盆地に広がり、盆地の中を熊野川が流れています。
まちの成り立ち
江戸時代の熊野は、広島藩の浅野氏の領地でした。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、安芸郡に熊野村が生まれ、1918年(大正7年)10月1日に町制を施行して熊野町となりました。1931年(昭和6年)4月1日には、となりの本庄村のうち川角と平谷の区域を編入しています。ほかの町村と合わさったことはなく、今も一つの町のままです。熊野は農地が少なく、江戸時代の後期に筆づくりが始まったといわれます。農閑期に紀州の熊野や大和の吉野へ出かけた人びとが、帰りに筆や墨を仕入れて売り歩いたことがきっかけとされます。やがて技術を学んで村に広め、明治に学校で習字の教育が始まると筆づくりは大きく伸びました。戦後は化粧筆や画筆にも広がり、熊野は「筆の都」と呼ばれています。町の中心の熊野盆地は四方を山に囲まれ、まわりの広島市・呉市・東広島市とは峠道や道路で結ばれています。2001年(平成13年)3月24日の芸予地震では強い揺れにみまわれました。2018年(平成30年)に町制施行100周年を迎え、今も筆の町として知られています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、安芸郡に熊野村と本庄村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1918年10月1日大正7年安芸郡熊野村が町制を施行して熊野町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1931年4月1日昭和6年安芸郡本庄村の一部(平谷・川角)が熊野町に編入された。本庄村の残りは焼山村と合併して昭和村となった。種類:一部編入 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。