今の君津市
東京湾岸から房総半島の内陸へ広がる市です。沿岸では製鉄所の進出が市の発展に関わり、内陸には小糸、清和、小櫃、上総の地域があります。今の市域は、昭和の合併でまとまった三町二村を合わせて成立しました。地域の呼び名には当時の町村名が使われ、湾岸には工業地帯、内陸には農村や山あいの集落が広がります。市の花はミツバツツジ、木はキャラです。
今の君津市の区域の人口は、2020年の国勢調査で82,206人です。今の区域で数えた1980年の77,286人とくらべると6.4%ふえ、人口は1995年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は32.7%です。
主な産業:臨海部の鉄鋼業と内陸部の農業、山間部の観光が地域を支えています。
特産品・名産
- 雨城楊枝久留里に伝わる伝統工芸品です。
- 卵養鶏が盛んな市内の特産品です。
- カラー小櫃地区で栽培される切り花です。
見どころ・祭り
- 久留里城城下町を見渡せる山城です。
- 亀山湖房総の山々に囲まれたダム湖です。
- 鹿野山九十九谷展望公園谷が重なる房総の山並みを望めます。
木キャラ花ミツバツツジ君津市の木・花
君津市のなりたち
君津市(きみつし)は、千葉県君津地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、12の町村がありました。周西村・八重原村・貞元村・周南村・久留里町・松丘村・亀山村・中村・秋元村・三島村・小櫃村・小糸村です。これらの町村が、6回の合併や編入を経て、今の君津市になりました。
今の名前「君津市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの12の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の亀山村が約70km²だったのに対し、今の君津市は約316km²と、およそ4.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は君津郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、君津郡は1991年(平成3年)4月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧周西村の区域には周西駅(内房線)があります。旧久留里町の区域には久留里駅(久留里線)があります。旧小櫃村の区域には小櫃駅(久留里線)があります。
「君津市」という名前
君津の名は、1897年に成立した君津郡の呼び名にさかのぼります。郡名は木更津の古い呼び方を縮めたものだという説と、日本武尊の伝説に結び付けた説があります。1943年の合併で自治体名として君津町が登場し、1970年の五町村合併でも君津町となりました。このときは君津地域の中心部にあたることが選定理由とされ、翌年の市制でもその名を引き継いでいます。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、周淮郡に八重原・周西・周南・貞元・小糸・中・秋元・三島の八村、望陀郡に久留里町・松丘村・亀山村・小櫃村が発足しました。1897年には君津郡にまとまっています。1943年4月1日、八重原村と周西村が合併し、最初の君津町となりました。市の解説は、両村にまたがる海軍の工場建設が合併の背景にあったとしています。
1954年には君津町・周南村・貞元村が新設合併しました。同年、久留里町・松丘村・亀山村は上総町となりました。亀山村の四方木は、その前に天津町へ移っています。1955年には小糸村と中村が小糸町、秋元村と三島村が清和村となり、現在の五地域の前身がそろいました。
1970年の合併協議には当初、木更津市も参加し、君津木更津市という名称が提案されました。しかし市名と庁舎の位置で折り合わず、協議会は解散しました。その後、君津町・小糸町・清和村・小櫃村・上総町の五町村が9月28日に合併し、新しい君津町が成立しました。
1971年9月1日に市制を施行して君津市となりました。東京湾岸の工業地域から久留里や亀山の内陸までを含み、君津・小糸・清和・小櫃・上総という昭和の町村名が、今も地域の呼び名に残っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年周淮郡に八重原村・周西村・周南村・貞元村・小糸村・中村・秋元村・三島村が、望陀郡に久留里町・松丘村・亀山村・小櫃村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年周淮郡・望陀郡・天羽郡が統合され、久留里町などが君津郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1943年4月1日昭和18年八重原村と周西村が合併し、君津町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1954年3月31日昭和29年君津町・周南村・貞元村が合併し、新しい君津町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1954年6月1日昭和29年亀山村の四方木が安房郡天津町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1954年10月1日昭和29年久留里町・松丘村・亀山村が合併し、上総町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年小糸村と中村が合併し、小糸町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年秋元村と三島村が合併し、清和村が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1970年9月28日昭和45年君津町・小糸町・清和村・小櫃村・上総町が合併し、新しい君津町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1971年9月1日昭和46年君津町が市制を施行し、君津市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.city.kimitsu.lg.jp/site/kyoiku/41462.html
- www.city.kimitsu.lg.jp/site/kyoiku/40474.html
- www.city.kimitsu.lg.jp/site/kyoiku/42553.html
- www.city.kimitsu.lg.jp/site/kyoiku/42278.html
- www.pref.chiba.lg.jp/toukei/toukeidata/nenkan/nenkan-s35/documents/1960002n.pdf
- ja.wikipedia.org/wiki/君津郡
- www.pref.chiba.lg.jp/shichou/documents/r700sityouson1.pdf