今の袖ケ浦市
東京湾沿いの千葉県中央部に位置する市です。沿岸の埋め立て地には石油化学やエネルギー関係の工場が立地し、内陸では低地の稲作や台地の畑作が行われてきました。昭和町と長浦村を中心とする地域に、平川町との合併が重なり、現在の市域となっています。袖ケ浦駅周辺などでは住宅地の整備も進められました。市の花はユリ、木はシイ、鳥はウグイスです。
今の袖ケ浦市の区域の人口は、2020年の国勢調査で63,883人です。今の区域で数えた1980年の38,837人とくらべると64.5%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は27.1%です。
主な産業:臨海部の石油化学などの工業と、内陸部の農業や観光が地域を支えています。
特産品・名産
- ホワイトガウラーメン牛乳を使った白いスープのラーメンです。
- 袖ケ浦かすていら地元のはちみつや緑茶を使った菓子です。
- ゆで落花生大粒の落花生をゆでた特産推奨品です。
見どころ・祭り
- 東京ドイツ村花畑やイルミネーションを楽しめます。
- 袖ケ浦公園菖蒲園や水辺を備えた公園です。
- 袖ケ浦海浜公園東京湾を望む海辺の公園です。
木シイ花ユリ鳥ウグイス袖ケ浦市の木・花・鳥
袖ケ浦市のなりたち
袖ケ浦市(そでがうらし)は、千葉県君津地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、7の町村がありました。楢葉村・神納村・平岡村・中川村・根形村・富岡村・長浦村です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の袖ケ浦市になりました。
今の名前「袖ケ浦市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの7の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の平岡村が約26km²だったのに対し、今の袖ケ浦市は約94km²と、およそ3.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は君津郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、君津郡は1991年(平成3年)4月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧楢葉村の区域には楢葉駅(内房線)があります。旧長浦村の区域には長浦駅(内房線)があります。
「袖ケ浦市」という名前
袖ケ浦の名には、日本武尊と弟橘媛の伝説が伝わっています。東京湾を渡る際、海へ身を投じた妃の袖が、この地方の海岸へ流れ着いたという言い伝えにちなむとされます。地名の詳しい語源は、はっきりしていません。1955年の合併で袖ヶ浦町が成立し、1971年の平川町との合併でも同じ名を採用しました。1991年の市制施行時に、大きなケを用いる袖ケ浦市へ表記を変えています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、望陀郡に楢葉村・神納村・長浦村・根形村・平岡村・中川村・富岡村が発足しました。1897年の郡統合で君津郡の村となり、1932年7月1日には楢葉村と神納村が合併して昭和町が生まれました。
1955年2月11日、平岡村と中川村が合併し、平川町となりました。同年3月31日には昭和町・長浦村と根形村の一部が新設合併して袖ヶ浦町となり、根形村と富岡村の残る区域の一部は平川町へ編入されました。富岡村のほかの区域は馬来田村と合併し、富来田町となりました。根形村と富岡村は分割され、区域ごとに別の町へ入りました。
当初の産業は、海岸での海苔養殖と、内陸の稲作や畑作でした。高度経済成長期の海岸埋め立てによって、石油化学やエネルギー関係の工場が立地し、京葉工業地域の一部となりました。
1971年11月3日、旧袖ヶ浦町と平川町が新設合併しました。住宅地の整備などを経て、1991年4月1日に市制を施行し、袖ケ浦市が成立しました。このとき自治体名のヶをケに変えました。沿岸の工業地帯と、平川など内陸の地域を合わせた歩みが、現在の市につながっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年望陀郡に楢葉村・神納村・長浦村・根形村・平岡村・中川村・富岡村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年4月1日明治30年望陀郡・周淮郡・天羽郡が統合され、楢葉村などが君津郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1932年7月1日昭和7年楢葉村と神納村が合併し、昭和町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年2月11日昭和30年平岡村と中川村が合併し、平川町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年昭和町・長浦村と根形村の三作・飯富・勝・野田・大曽根・下新田が合併し、袖ヶ浦町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年根形村が分割され、三作・飯富・勝・野田・大曽根・下新田が袖ヶ浦町の区域となり、岩井・谷中・三黒が平川町に編入された。種類:分割 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1955年3月31日昭和30年富岡村が分割され、一部が馬来田村と合併して富来田町となり、下根岸ほか残部が平川町に編入された。種類:分割 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1971年11月3日昭和46年袖ヶ浦町と平川町が合併し、新しい袖ヶ浦町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp
- 1991年4月1日平成3年袖ヶ浦町が市制を施行し、大きなケを用いる袖ケ浦市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.chiba.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。