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大多喜町おおたきまち

1920年には5の町村だった区域が、1回の合併・編入を経て、今の大多喜町になりました。

5町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の大多喜町

房総半島の内陸に位置し、夷隅川と養老川の流域に広がる町です。町内には山林や田畑があり、大多喜城の歴史を伝える区域と周辺の旧村の地域が共存しています。中世の城には本多氏、松平氏などが入り、城下町が形成されました。1954年に旧大多喜町と四村が合併して成立し、木はモミジ、花はサクラと菜の花、鳥はウグイスを定めています。

今の大多喜町の区域の人口は、2020年の国勢調査で8,885人です。今の区域で数えた1980年の13,612人とくらべると34.7%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は43.8%です。

8,885人人口(2020年)
−34.7%1980年からの増減
129.87km²面積(国土地理院)
68人/km²人口密度
43.8%65歳以上の割合
13,6121980199020052020
15歳未満 8.7%15〜64歳 47.5%65歳以上 43.8%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:たけのこなどの農業、林業と城下町・渓谷の観光が営まれています。

特産品・名産

  • たけのこ町を代表する柔らかな農産物です。
  • ミョウガ料理の薬味などに使う特産野菜です。
  • ローゼルハーブティーの原料となる植物です。

見どころ・祭り

  • 大多喜城城下町を見渡す丘の上の城です。
  • 養老渓谷養老川沿いに渓谷と滝が続きます。
  • 粟又の滝養老川にかかる幅広い滝です。

木モミジ花サクラ、菜の花鳥ウグイス大多喜町の木・花・鳥

大多喜町のなりたち

大多喜町(おおたきまち)は、千葉県夷隅地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。上瀑村・西畑村・総元村・老川村・大多喜町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の大多喜町になりました。

今の名前「大多喜町」は、1920年にあった大多喜町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の大多喜町が約13km²だったのに対し、今の大多喜町は約128km²と、およそ10.1倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は夷隅郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧西畑村の区域には西畑駅(いすみ鉄道 いすみ線)があります。旧総元村の区域には総元駅(いすみ鉄道 いすみ線)があります。

51920年の町村の数
1回合併・編入の回数
130km²今の面積
1954年いちばん新しい合併

「大多喜町」という名前

大多喜という地名は、城と城下町の歴史に受け継がれてきました。中世には「小田喜」と表記されていました。地名の語源や、表記が変わった詳しい時期ははっきりしていません。1889年に発足した大多喜町の名は、1954年に上瀑村・総元村・西畑村・老川村と合併して成立した新しい町にも採用されました。城下町の呼び名が、周辺の村々を含む町名となっています。

まちの成り立ち

大多喜は、城と城下町を中心に歴史を重ねた地域です。中世には小田喜という地名が使われていました。正木氏の居城だった城には、1590年に徳川家康の家臣である本多忠勝が入りました。その後は城主が交代し、1703年から松平氏が続いて廃藩置県を迎えています。

1889年(明治22年)の町村制で、夷隅郡に大多喜町・上瀑村・総元村・西畑村・老川村が発足しました。城下町の区域を中心とする大多喜町と、周辺の四村は、それぞれ別の自治体として行政を行っていました。城下町と周辺の村々は、昭和の合併まで別々の行政区域でした。

1954年10月5日、この一町四村が合併し、新しい大多喜町が成立しました。旧大多喜町が四村を編入したのではなく、五つの自治体を合わせた新設合併です。町名は引き継がれましたが、行政を担う区域は旧町の城下町から周辺の村々へ広がりました。

町内には夷隅川と養老川の流域があり、川沿いの地域と山林を持っています。城下町の区域に加え、旧四村の山林や田畑が現在の町域を形づくっています。現在の大多喜町は、城下町の名を受け継ぎながら、明治に生まれた五つの町村を一つにまとめた自治体です。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年夷隅郡に大多喜町・上瀑村・総元村・西畑村・老川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1954年10月5日昭和29年大多喜町・上瀑村・総元村・西畑村・老川村が合併して新しい大多喜町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.chiba.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

大多喜町1889〜今
上瀑村1889〜1954
西畑村1889〜1954同じ名前の駅:西畑駅
総元村1889〜1954同じ名前の駅:総元駅
老川村1889〜1954

参考にした資料