今の府中市
武蔵国の国府が置かれ、甲州街道の宿場としても歩んできたまちです。大國魂神社や武蔵国府跡、馬場大門のけやき並木に歴史が残り、多摩川、府中崖線、浅間山には水辺や台地の自然があります。食品・新聞に関わる工場や卸売市場とともに、こまつな、ブルーベリー、梨などの農業も営まれ、歴史と緑、多様な仕事が重なっています。
今の府中市の区域の人口は、2020年の国勢調査で262,790人です。今の区域で数えた1980年の192,198人とくらべると36.7%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は22.2%です。
主な産業:食品・新聞の工場、卸売市場、商業・サービス業と都市農業が営まれます。
特産品・名産
- こまつな地域で育てられる農産物
- ブルーベリー地域で育てられる農産物
- 梨地域で育てられる農産物
見どころ・祭り
- 大國魂神社武蔵国の総社として知られる神社
- 武蔵国府跡古代の政治の中心を伝える史跡
- 府中市郷土の森博物館府中の歴史と自然にふれる博物館
花ウメ木ケヤキ鳥ヒバリ府中市の花・木・鳥
府中市のなりたち
府中市(ふちゅうし)は、東京都多摩地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。西府村・多磨村・府中町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の府中市になりました。
今の名前「府中市」は、1920年にあった府中町の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の府中町が約12km²だったのに対し、今の府中市は約29km²と、およそ2.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北多摩郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北多摩郡は1970年(昭和45年)11月3日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧西府村の区域には西府駅(南武線)があります。
「府中市」という名前
府中の名は「国府の中」に由来します。奈良時代から平安時代にかけて武蔵国の国府が置かれた土地で、その政治の中心を示す名が長く受け継がれました。ほかの地域の府中と区別して武蔵府中とも呼ばれます。1954年には府中町・多磨村・西府村が合併し、歴史ある府中の名を市名として引き継ぎました。
まちの成り立ち
府中は武蔵国の国府が置かれた土地です。大國魂神社の周辺には国府に関わる役所や住居、工房などの跡が見つかっており、古代の政治と人々の暮らしを伝えています。市域には縄文時代の集落跡や古墳もあり、多摩川に近い台地で営まれてきた長い歴史が重なります。
江戸時代には大國魂神社周辺の甲州街道沿いに宿場があり、人や物が行き交いました。1889年4月1日、神奈川県北多摩郡に府中駅・多磨村・西府村が成立しました。1893年4月1日に北多摩郡が東京府へ移され、同年には府中駅が府中町と改称しました。1954年4月1日、府中町・多磨村・西府村の一町二村が合併して府中市が発足しました。
多摩川の水辺、府中崖線、浅間山、馬場大門のけやき並木など、市内には地形と緑を感じる場所があります。大國魂神社や武蔵国府跡に加え、郷土の森博物館や府中の森公園なども身近です。市内には食品や新聞に関わる工場、卸売市場があり、農地ではこまつなやブルーベリー、梨などが育てられてきました。古代の国府と近世の宿場の記憶が、住宅や商業、工業、農業の営まれる都市の中に残っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年府中駅・多磨村・西府村が神奈川県北多摩郡に発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年4月1日明治26年北多摩郡が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年府中駅が府中町と改称した。種類:改称 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1954年4月1日昭和29年府中町・多磨村・西府村が合併し府中市が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-mayors.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。