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三鷹市みたかし

三鷹市がたどってきた合併の歴史です。

1町村から

今の三鷹市

東京都のほぼ中央で区部と多摩地域に接するまちです。武蔵野台地を玉川上水、仙川、野川が通り、井の頭恩賜公園や大沢、牟礼の里の緑が広がります。住宅地の中に果樹や野菜の農地が残り、精密工業や情報通信の仕事も営まれます。太宰治や山本有三に関わる場所、国立天文台、水車などが、文学・科学・農村の歴史を伝えています。

今の三鷹市の区域の人口は、2020年の国勢調査で195,391人です。今の区域で数えた1980年の164,526人とくらべると18.8%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は22.1%です。

195,391人人口(2020年)
+18.8%1980年からの増減
16.42km²面積(国土地理院)
11,900人/km²人口密度
22.1%65歳以上の割合
195,3911980199020052020
15歳未満 12.5%15〜64歳 65.4%65歳以上 22.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:精密工業や情報通信の事業所、住宅地の商業、果樹・野菜の農業が営まれます。

特産品・名産

  • キウイフルーツ地域で育てられる農産物
  • 銀杏地域で育てられる農産物
  • ブドウ地域で育てられる農産物

見どころ・祭り

  • 山本有三記念館作家ゆかりの文学の拠点
  • 国立天文台三鷹にある天文学の研究拠点
  • 大沢の水車大沢の里に残る水車

花ハナカイドウ木イチョウ三鷹市の花・木

三鷹市のなりたち

三鷹市(みたかし)は、東京都多摩地域の市です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では三鷹村でした。

1920年の時点で、この区域の町村は北多摩郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北多摩郡は1970年(昭和45年)11月3日に廃止されました。

11920年の町村の数
1回合併・編入の回数
16km²今の面積
1893年いちばん新しい合併

「三鷹市」という名前

三鷹の名は、江戸時代の鷹場が世田谷領・野方領・府中領の三領にまたがっていたことにちなむといわれています。村々を統合した1889年に三鷹村が発足し、1940年の町制、1950年の市制を経ても、この名が受け継がれました。将軍の鷹狩りに結び付く名前には、住宅地となる前の武蔵野の姿が重なっています。

まちの成り立ち

三鷹は東京都のほぼ中央、区部と多摩地域の境にあります。武蔵野台地には玉川上水や仙川、野川などの水の流れがあり、井の頭恩賜公園の緑とともに土地の景観を形づくっています。大沢や牟礼、新川などには農地や里の面影も残り、市内ではキウイや銀杏、ブドウなどが育てられてきました。

1889年4月1日、下連雀・上連雀・牟礼・新川・大沢などの村々がまとまり、神奈川県北多摩郡三鷹村が発足しました。1893年4月1日には北多摩郡が東京府へ移されました。三鷹村は1940年2月11日に三鷹町となり、1950年11月3日に市制を施行しました。旧来の村の名前は、市内の地域名にも受け継がれています。

三鷹には文学と科学の足跡が重なります。太宰治ゆかりの場所、山本有三記念館、国立天文台があり、大沢の星と森と絵本の家や水車も地域の歴史を伝えています。住宅や事業所が広がる一方、精密工業や情報通信の仕事、果樹や野菜の農業も営まれています。公園や川沿い、文学に関わる場所をたどると、緑のある郊外で暮らしや仕事、文化が育まれてきたことが感じられます。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制施行により神奈川県北多摩郡三鷹村が発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
  2. 1893年4月1日明治26年北多摩郡が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
  3. 1940年2月11日昭和15年三鷹村が町制を施行し三鷹町となった。種類:町制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
  4. 1950年11月3日昭和25年三鷹町が市制を施行し三鷹市となった。種類:市制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

三鷹村→三鷹町→三鷹市1889〜今

参考にした資料