今の町田市
東京都の南端にあり、起伏に富む多摩丘陵のまちです。町田駅周辺には商業の中心が広がり、鶴川、南町田、多摩境の駅周辺も地域の核となっています。北部丘陵、薬師池、尾根緑道、芹ヶ谷公園などの緑が市街地と共存し、遺跡や古い住宅が歴史を伝えます。菓子や調味料、酒などの名産品もあり、都市の暮らしと丘陵の風景が重なっています。
今の町田市の区域の人口は、2020年の国勢調査で431,079人です。今の区域で数えた1980年の295,405人とくらべると45.9%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は27.7%です。
主な産業:駅周辺の商業・サービス業や地域の食品製造などが営まれます。
特産品・名産
- はすの実最中2025年認定の町田市名産品の和菓子
- まちだおかき2025年認定の町田市名産品の和菓子
- 天満最中2025年認定の町田市名産品の和菓子
見どころ・祭り
- 町田薬師池公園四季彩の杜薬師池を中心に緑を楽しめる場所
- 芹ヶ谷公園市街地に近い緑の公園
- 高ヶ坂石器時代遺跡地域の古い歴史を伝える国史跡
花サルビア木ケヤキ鳥カワセミ町田市の花・木・鳥
町田市のなりたち
町田市(まちだし)は、東京都多摩地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。南村・堺村・忠生村・鶴川村・町田町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の町田市になりました。
今の名前「町田市」は、1920年にあった町田町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の町田町が約10km²だったのに対し、今の町田市は約71km²と、およそ7.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は南多摩郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、南多摩郡は1971年(昭和46年)11月1日に廃止されました。
「町田市」という名前
町田市は、町田町・鶴川村・忠生村・堺村が1958年に合併して誕生し、町田町の名を引き継いだ市です。町田の語源の由来ははっきりしていません。1889年には町田村として発足し、1913年の町制、1954年の南村との合併を経て、市名として受け継がれました。旧町村の名前も地域の歴史を伝えています。
まちの成り立ち
町田は東京都の南端に位置し、神奈川県へ半島のように突き出した形の市域を持ちます。起伏のある多摩丘陵には北部丘陵の緑、薬師池や野津田公園、尾根緑道などがあり、駅周辺の市街地と丘陵の風景が共に広がります。旧石器時代から近代までの遺跡が残り、高ヶ坂石器時代遺跡や旧永井家住宅も土地の歴史を伝えています。
1889年4月1日、神奈川県南多摩郡に町田村・南村・鶴川村・忠生村・堺村が発足しました。1893年4月1日に南多摩郡が東京府へ移され、1913年10月1日には町田村が町田町となりました。1954年4月1日、町田町と南村が合併して新しい町田町が発足し、1958年2月1日には町田町・鶴川村・忠生村・堺村が合併して町田市となりました。
町田駅周辺には中心市街地があり、仲見世商店街などの商業の場が集まっています。鶴川、南町田、多摩境の駅周辺にもそれぞれまちの核があります。一方、芹ヶ谷公園やかしの木山自然公園など、身近な緑の場所も残ります。地域では菓子や調味料、酒などが名産品として育まれ、はすの実最中、まちだおかき、天満最中などの菓子もあります。丘陵に残る自然や文化財と、駅を中心に広がる都市の暮らしが重なるまちです。
年表
- 1889年4月1日明治22年町田村・南村・鶴川村・忠生村・堺村が神奈川県南多摩郡に発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年4月1日明治26年南多摩郡が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1913年10月1日大正2年町田村が町制を施行し町田町となった。種類:町制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1954年4月1日昭和29年町田町と南村が合併し新しい町田町が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1958年2月1日昭和33年町田町・鶴川村・忠生村・堺村が合併し町田市が発足した。種類:新設合併 出典:www.tokyo-mayors.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。