今の国分寺市
武蔵国分寺に由来する名を持ち、古代の寺や東山道武蔵路の史跡が残るまちです。鉄道の開通と工場・研究所の進出によって住宅地が増えました。お鷹の道・真姿の池湧水群、姿見の池、殿ヶ谷戸庭園などには台地の水と緑があります。トマトやブルーベリー、ナスなどの都市農業も営まれ、歴史と湧水、住宅地の暮らしが重なっています。
今の国分寺市の区域の人口は、2020年の国勢調査で129,242人です。今の区域で数えた1980年の91,010人とくらべると42.0%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は22.0%です。
主な産業:商業・サービス業、研究などの活動と、野菜・果樹の都市農業が営まれます。
特産品・名産
- トマト国分寺を代表する農産物
- ブルーベリー国分寺を代表する農産物
- ナス国分寺を代表する農産物
見どころ・祭り
- 武蔵国分寺跡古代の大寺院の歴史を伝える史跡
- お鷹の道・真姿の池湧水群台地の湧水と散策の道
- 殿ヶ谷戸庭園崖線の地形を生かした庭園
花サツキ木ケヤキ鳥カワセミ国分寺市の花・木・鳥
国分寺市のなりたち
国分寺市(こくぶんじし)は、東京都多摩地域の市です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では国分寺村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は北多摩郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北多摩郡は1970年(昭和45年)11月3日に廃止されました。
「国分寺市」という名前
国分寺の名は、741年の聖武天皇の国分寺建立の詔により、全国に建てられた国分寺に由来します。この土地には武蔵国分寺が置かれ、寺の名は村や町、市の名前にも受け継がれました。1889年に十村が合併して国分寺村となり、1940年の町制、1964年の市制を経て、古代の寺に結び付く名が残っています。
まちの成り立ち
国分寺の歩みは武蔵国分寺と結び付きます。奈良時代、武蔵国府の北に国分寺の建立が始まり、広い寺の敷地を持つ地域は政治や文教、交通、文化の中心として発展しました。中世には鎌倉街道が通り、恋ヶ窪は宿場として栄えたと伝えられます。寺が戦いで焼失した後、地域は農村へと変わっていきました。
江戸時代の享保年間には原野で新田開発が進みました。1889年4月1日、国分寺村・恋ヶ窪村や周辺の新田など十村が合併して神奈川県北多摩郡国分寺村となりました。同年に甲武鉄道が開通し、国分寺駅が設けられました。1893年4月1日に東京府へ移され、1940年2月11日には国分寺町、1964年11月3日には国分寺市となりました。鉄道の発達や工場、研究所の進出とともに住宅が増えました。
市内には武蔵国分寺跡や国分尼寺跡、東山道武蔵路跡などの歴史が残っています。お鷹の道・真姿の池湧水群、姿見の池、殿ヶ谷戸庭園などには、台地の水と緑を感じる景観があります。都市農業も営まれ、トマトやブルーベリー、ナスなどが地域の産物となっています。古代の寺と新田開発、水辺の自然、鉄道に結ばれる住宅地の歴史が、まちの中に重なっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年国分寺村・恋ヶ窪村や周辺の新田など十村が合併し神奈川県北多摩郡国分寺村が発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年4月1日明治26年北多摩郡が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1940年2月11日昭和15年国分寺村が町制を施行し国分寺町となった。種類:町制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1964年11月3日昭和39年国分寺町が市制を施行し国分寺市となった。種類:市制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。