今の国立市
大学通りの並木と桜が印象的な文教都市です。大正末期から北部の開発が進み、学校の移転と駅の開業によって発展しました。南部の谷保には甲州街道の農村の歴史、崖線や湧水、用水や田畑の景観が残ります。谷保天満宮や郷土文化館に地域の文化が伝わり、谷保米、多摩川梨、くにたち野菜などの農業も身近な暮らしを支えています。
今の国立市の区域の人口は、2020年の国勢調査で77,130人です。今の区域で数えた1980年の64,144人とくらべると20.2%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.8%です。
主な産業:教育・文化に関わる活動、商業・サービス業、米・野菜・果樹の都市農業が営まれます。
特産品・名産
- 谷保米谷保地域の田んぼで育てられる米
- 多摩川梨国立南部で育てられる梨
- 小松菜うどんくにたち野菜と地域食材店の共同商品
見どころ・祭り
- 大学通り桜と並木が続く文教都市の通り
- 谷保天満宮谷保の歴史を伝える神社
- くにたち郷土文化館国立の歴史・自然・文化を伝える館
花ウメ木イチョウ鳥シジュウカラ国立市の花・木・鳥
国立市のなりたち
国立市(くにたちし)は、東京都多摩地域の市です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では谷保村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は北多摩郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北多摩郡は1970年(昭和45年)11月3日に廃止されました。
「国立市」という名前
国立の名は、大正末期に谷保村北部を開発する際、国分寺と立川の間に設ける駅に両駅の頭文字を取ってつけたものです。新しい国が立つという願いも重なり、まちの名前として受け入れられたとされます。1951年には谷保村が国立町となり、1967年の市制でもこの名が受け継がれました。駅と文教都市の開発に結び付く市名です。
まちの成り立ち
国立の南部、谷保には甲州街道沿いの農村があり、水田に適した土地で稲作などが営まれてきました。市内には湧水、崖線、用水、田畑の景観があり、谷保天満宮や古墳なども土地の歴史を伝えています。北部の文教都市の景観と南部の農業の風景が重なるまちです。
1889年4月1日、谷保村・青柳村・石田村の飛地が合わさり、神奈川県北多摩郡谷保村が発足しました。1893年4月1日に東京府へ移され、大正末期には北部の山林で開発が進みました。1926年に国立駅が開業し、東京高等音楽学院が移転、翌年には東京商科大学が移ってきました。1934年には大学通りに桜が植えられました。
1951年4月1日に谷保村は国立町となり、翌年には文教地区に指定されました。戦後の住宅地や団地の拡大によって人口が増え、1967年1月1日に国立市が誕生しました。大学通りの並木と桜、谷保天満宮や郷土文化館は地域の歴史や文化を伝えます。谷保米、多摩川梨、くにたち野菜などの農業も続き、小松菜うどんなどの食品も作られています。教育と文化のまちの歩みが、水と農地のある土地の暮らしとともに受け継がれています。
年表
- 1889年4月1日明治22年谷保村・青柳村・石田村の飛地が合わさり神奈川県北多摩郡谷保村が発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年4月1日明治26年北多摩郡が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1951年4月1日昭和26年谷保村が町制を施行し国立町と改称した。種類:町制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1967年1月1日昭和42年国立町が市制を施行し国立市となった。種類:市制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。