今の裾野市
静岡県東部にあり、富士山、箱根山、愛鷹山の3つの火山の裾野に広がる市です。黄瀬川と大場川が流れ、その周囲の平地に市街地があります。沼津市や三島市に近く、通勤する人も多い住宅地です。田や畑では水稲のほか、野芝や大和芋、モロヘイヤが育てられています。北の十里木には別荘地があり、富士山の眺めのよい観光地にもなっています。大きな工場が集まる、ものづくりのまちでもあります。
今の裾野市の区域の人口は、2020年の国勢調査で50,911人です。今の区域で数えた1980年の41,025人とくらべると24.1%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は27.0%です。
主な産業:自動車関連などの工場・研究所と、水稲・野芝・野菜などの農業が営まれています。
特産品・名産
- 野芝富士山麓は日本一古い野芝の産地とされる
- 大和芋市の農産物として挙がる
- モロヘイヤ市の農産物として挙がる
見どころ・祭り
- 須山浅間神社世界文化遺産・富士山の構成資産
- 富士サファリパーク動物園型のレジャー施設
- 芦ノ湖スカイライン・三国峠駿河湾と富士山が望める
- 十里木高原富士山と愛鷹山の間の別荘地
- 富士山資料館富士山を紹介する資料館
木スギ花アシタカツツジ鳥ウグイス裾野市の木・花・鳥
裾野市のなりたち
裾野市(すそのし)は、静岡県東部地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。小泉村・泉村・深良村・須山村・富岡村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の裾野市になりました。
今の名前「裾野市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の須山村が約71km²だったのに対し、今の裾野市は約137km²と、およそ1.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は駿東郡に属していました。
「裾野市」という名前
「裾野」の名は、JR御殿場線の駅名に由来します。この駅は当初「佐野駅」でしたが、栃木県の佐野駅と名が重なるため、1915年(大正4年)に「裾野駅」へ改称されました。改称の理由は「富士山の裾野」にあるからとされています。1913年には陸軍の富士裾野演習場が開設されており、「裾野」という呼び名は広く使われていました。1952年に生まれた町の名もこれにならいました。
まちの成り立ち
裾野は、富士山・箱根山・愛鷹山の3つの火山の裾野に開けた土地です。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の市域には駿東郡の小泉村・深浪村・富岡村・須山村ができました。小泉村は佐野・富沢・茶畑など12か村、深浪村は深良村と岩波村、富岡村は御宿・葛山・今里など9か村をまとめた村で、須山村は単独で村になりました。同じ年に御殿場線(当時は東海道本線)の佐野駅が開業しています。まもなく小泉村から泉村が分かれ、深浪村は1891年に深良村と改称しました。佐野駅は1915年(大正4年)に裾野駅と改称されています。昭和の大合併では、1952年(昭和27年)4月1日に小泉村と泉村が合併して裾野町が発足しました。町の名は駅名にちなんでいます。1956年(昭和31年)9月30日に深良村を編入し、1957年(昭和32年)9月1日には富岡村と須山村も編入して、明治の5村の範囲が一つの町になりました。1966年にはトヨタ自動車の東富士研究所ができるなど工場や研究所の進出が続き、1971年(昭和46年)1月1日に市制を施行して裾野市となりました。北部の須山には富士山の構成資産の須山浅間神社があり、市の中央を黄瀬川が流れています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、駿東郡に小泉村・深浪村・富岡村・須山村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年10月10日明治23年駿東郡小泉村から泉村が分かれて発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1891年6月11日明治24年駿東郡深浪村が深良村に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1952年4月1日昭和27年駿東郡の小泉村と泉村が合併して裾野町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年駿東郡深良村が裾野町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1957年9月1日昭和32年駿東郡の富岡村と須山村が裾野町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1971年1月1日昭和46年駿東郡裾野町が市制を施行して裾野市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。