今の吉川市
埼玉県南東部にあり、東を江戸川、西を中川に囲まれたまちです。平野には農村と新田が広がり、古くから川と結びついた暮らしが営まれてきました。武蔵野線の開通や団地の建設を背景に住宅地が増え、吉川駅と吉川美南駅の周辺には市街地が広がっています。三輪野江や旭などの名前には、合併前の村の歴史が残ります。市の木はモクセイ、花はサツキ・ツツジです。
今の吉川市の区域の人口は、2020年の国勢調査で71,979人です。今の区域で数えた1980年の38,894人とくらべると85.1%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は24.1%です。
主な産業:川魚料理の伝統を受け継ぎ、なまずにちなんだ菓子などを製造しています。
特産品・名産
- なまずまんじゅうなまずの里にちなんだあん入りの饅頭
- なまず最中なまずの里にちなんだあん入りの最中
- なまずせんべいなまずの粉末入りなど地域にちなんだ煎餅
見どころ・祭り
- ラッピーランド吉川駅北口の観光案内と特産品の販売所
- 永田公園吉川富士とせせらぎを備える公園
- 吉川市郷土資料館米づくりや水と暮らしの歴史を展示する施設
木モクセイ花サツキ・ツツジ吉川市の木・花
吉川市のなりたち
吉川市(よしかわし)は、埼玉県東部地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。旭村・三輪野江村・吉川町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の吉川市になりました。
今の名前「吉川市」は、1920年にあった吉川町の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の吉川町が約10km²だったのに対し、今の吉川市は約32km²と、およそ3.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北葛飾郡に属していました。
「吉川市」という名前
「吉川」は、中世から伝わる地名です。「吉河」とも書かれ、古くは吉川郷に属していました。1361年の祭文にも吉川で開かれた市の記録があり、古くから人や物が集まる場所だったことがうかがえます。ただし、名前そのものの由来ははっきりしていません。1889年の吉川村、1915年の吉川町、1955年の新しい吉川町を経て、市名に受け継がれました。
まちの成り立ち
1889年4月1日の町村制で、現在の市域は吉川村・三輪野江村・旭村の3村にまとまりました。川沿いの集落や新田が合わさり、農村を中心とする自治体がつくられました。1895年には、江戸川の西岸にあった平方新田と深井新田が、千葉県の新川村から三輪野江村へ移りました。現在の県境に沿う区域ができる過程には、県を越えた編入もあります。
1915年11月1日、吉川村は町制を施行して吉川町となりました。1955年3月1日には吉川町・三輪野江村・旭村が新設合併し、新しい吉川町が生まれました。古くから使われた吉川の名を引き継いだ新設合併でした。町章にも三つの町村がまとまった経過が表されています。
1973年に武蔵野線が開通し、吉川駅が開業しました。吉川団地の建設とともに住宅地が広がり、1996年4月1日には単独で市制を施行しています。川に囲まれた田園を背景とする地域が、鉄道で東京と結ばれる住宅都市へと変わりました。三輪野江や旭の名前は現在も地域の呼び名や学校名に残り、三町村の成り立ちを伝えています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、吉川村・三輪野江村・旭村が発足した。種類:町村制 出典:www.city.yoshikawa.saitama.jp
- 1895年4月1日明治28年千葉県新川村の平方新田・深井新田のうち江戸川西岸の区域が三輪野江村に編入された。種類:県境を越えた編入 出典:Wikipedia
- 1915年11月1日大正4年吉川村が町制を施行し、吉川町となった。種類:町制施行 出典:www.city.yoshikawa.saitama.jp
- 1955年3月1日昭和30年吉川町・三輪野江村・旭村が合併し、新たな吉川町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.saitama.lg.jp
- 1996年4月1日平成8年吉川町が市制を施行し、吉川市となった。種類:市制施行 出典:www.city.yoshikawa.saitama.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。