今の御代田町
長野県東部、北佐久郡にある町です。北部には浅間山の裾野が広がり、軽井沢町・小諸市・佐久市に囲まれています。町の中央をしなの鉄道線と国道18号が通ります。南西部の小田井は中山道の宿場町でした。精密機械のメーカーが集まる工業の町で、キャベツやレタスなどの高原野菜の産地でもあります。町内には浅間縄文ミュージアムや真楽寺があります。
今の御代田町の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,555人です。今の区域で数えた1980年の9,851人とくらべると57.9%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は28.3%です。
主な産業:精密機械などの製造業と、レタス・キャベツなどの高原野菜の農業
特産品・名産
- レタス1965年ごろから栽培が盛んになった高原野菜
- キャベツ1960年ごろから稲作に代わり広がった
- ハクサイ1960年ごろから稲作に代わり広がった
見どころ・祭り
- 浅間縄文ミュージアム重要文化財の焼町土器を展示
- 小田井宿中山道の宿場で本陣などが置かれた
- 真楽寺三重塔のある寺
- 浅間山町の北にそびえる活火山
- 草越の寒の水長野県の無形民俗文化財
木イチイ花やまゆり御代田町の木・花
御代田町のなりたち
御代田町(みよたまち)は、長野県東信地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。小沼村・伍賀村・御代田村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の御代田町になりました。
今の名前「御代田町」は、1920年にあった御代田村の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の御代田村が約9km²だったのに対し、今の御代田町は約59km²と、およそ6.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北佐久郡に属していました。
「御代田町」という名前
町の名は、明治の初めにできた御代田村から受けつがれています。御代田村は、1875年(明治8年)に小田井村・前田原村・池田新田・児玉新田の4つの村がまとまってできた村です。1956年(昭和31年)に小沼村・伍賀村と合併して町になったときも、御代田の名が町の名前になりました。「御代田」という名がどのような意味でつけられたのかははっきりしていません。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の町域には北佐久郡の御代田村・小沼村・伍賀村が生まれました。小沼村は馬瀬口村と塩野村が、伍賀村は草越村・豊昇村・広戸村・面替村・茂沢村がまとまった村です。
昭和の大合併では、1956年(昭和31年)9月30日に3つの村が合併し、御代田町が発足しました。翌1957年(昭和32年)2月1日には、町の端の地区がそれぞれ近い市町に移り、茂沢の一部が軽井沢町に、小田井下宿などが浅間町(今の佐久市)に、乗瀬・水出が小諸市に入りました。1959年(昭和34年)4月1日には、軽井沢町追分の西鰍沢が御代田町に加わっています。
町は浅間山の南のふもとにあり、軽井沢町・小諸市・佐久市に囲まれています。南西部の小田井には、江戸時代に中山道の小田井宿が置かれました。農業は1960年ごろから稲作に代わってキャベツやハクサイが、1965年ごろからはレタスの栽培が盛んになりました。1955年ごろからは工場の誘致を進め、精密機械のメーカーが集まる町となっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北佐久郡に御代田村が単独で、馬瀬口村・塩野村の区域で小沼村が、草越村・豊昇村・広戸村・面替村・茂沢村の区域で伍賀村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年御代田村・小沼村・伍賀村が合併し、御代田町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1957年2月1日昭和32年御代田町の一部が分かれ、茂沢の一部が軽井沢町に、御代田の一部(西屋敷・荒田・小田井下宿)が浅間町に、塩野の一部(乗瀬・水出)が小諸市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1959年4月1日昭和34年御代田町が軽井沢町の一部(追分のうち西鰍沢)を編入した。種類:一部編入 出典:www.pref.nagano.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。