今の小諸市
長野県東部、浅間山の南西のふもとにある市です。北に浅間山、南に蓼科山を望み、千曲川が市の南部から西部を流れます。江戸時代は小諸藩の城下町で、北国街道の宿場町として栄えました。小諸駅のまわりが中心市街地で、小諸城址の懐古園が市のシンボルです。島崎藤村ゆかりの地として知られ、旧小諸本陣などの文化財も残ります。
今の小諸市の区域の人口は、2020年の国勢調査で40,991人です。今の区域で数えた1980年の42,355人とくらべると3.2%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.8%です。
主な産業:機械・電子部品などの製造業、商業、農業と観光
特産品・名産
- 日本酒酒蔵資料館のある大塚酒造の酒
- 信州味噌市内に本社を置く味噌メーカーがある
見どころ・祭り
- 小諸城址懐古園三之門・大手門は国の重要文化財
- 小諸市立藤村記念館懐古園内にある島崎藤村の記念館
- 旧小諸本陣国の重要文化財
- 布引観音(釈尊寺)牛に引かれて善光寺参りの伝説の地
- 高峰高原浅間山麓の高原
木梅花こもろすみれ小諸市の木・花
小諸市のなりたち
小諸市(こもろし)は、長野県東信地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。大里村・北大井村・川辺村・南大井村・三岡村・小諸町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の小諸市になりました。
今の名前「小諸市」は、1920年にあった小諸町の名前を受け継いでいます。ほかの5の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の小諸町が約40km²だったのに対し、今の小諸市は約99km²と、およそ2.5倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北佐久郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧三岡村の区域には三岡駅(小海線)があります。
「小諸市」という名前
市の名は、江戸時代に小諸藩の城下町だった小諸町から受けつがれています。小諸は、北国街道の宿場町としても栄えた町です。1954年(昭和29年)に周りの5村と合わさって市になったときも、小諸の名がそのまま市の名前になりました。市章の5つの花びらは、5つの村が小諸町を中心に一つになった姿を表しています。「小諸」という地名の語源にはいくつかの説があり、はっきりしていません。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、今の市域には北佐久郡の小諸町・北大井村・大里村・川辺村・南大井村・三岡村が生まれました。
昭和の大合併では、1954年(昭和29年)2月1日に小諸町・北大井村・大里村・川辺村が合併し、改めて小諸町が発足しました。2か月後の4月1日には、小諸町・三岡村・南大井村が合わさって小諸市が生まれています。その後、1957年(昭和32年)に御代田町の乗瀬・水出が、1959年(昭和34年)に東部町の芝生田・井子・糠地が小諸市に移りました。平成の合併には加わらず、今の市域が続いています。
市は浅間山の南西のふもとにあり、北に浅間山、南に蓼科山を望みます。千曲川が市の南部から西部を流れ、市街地と川の間にはおよそ100mの高低差があります。城下町と宿場町を受けついだ小諸駅のまわりが今も中心市街地で、小諸城の跡は懐古園として親しまれています。島崎藤村が小諸義塾で教えたゆかりの地でもあり、懐古園には藤村記念館があります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北佐久郡に小諸町・北大井村・大里村・川辺村・南大井村・三岡村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1954年2月1日昭和29年小諸町・北大井村・大里村・川辺村が合併し、改めて小諸町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1954年4月1日昭和29年小諸町・三岡村・南大井村が合併し、小諸市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1957年2月1日昭和32年御代田町の一部(塩野の乗瀬・水出)が小諸市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nagano.lg.jp
- 1959年4月1日昭和34年小県郡東部町の一部(芝生田・井子・糠地)が小諸市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.nagano.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。