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和束町わづかちょう

1920年には4の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の和束町になりました。

4町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の和束町

京都府南部、相楽郡の東部にある山間の町です。中央を和束川が流れ、滋賀県甲賀市に接しています。山林に囲まれた集落のまわりに茶畑が広がり、宇治茶の産地として知られています。古くは恭仁京と紫香楽宮を結ぶ道が通り、寺社の荘園や禁裏御料地として歩んできました。安積親王和束墓や磨崖仏などの史跡と、斜面の茶畑が、土地の歴史と茶づくりの暮らしを伝えています。

今の和束町の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,478人です。今の区域で数えた1980年の6,290人とくらべると44.7%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は47.6%です。

3,478人人口(2020年)
−44.7%1980年からの増減
64.93km²面積(国土地理院)
54人/km²人口密度
47.6%65歳以上の割合
6,3331980199020052020
15歳未満 6.8%15〜64歳 45.6%65歳以上 47.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:茶の栽培と製茶が基幹産業で、トマトや花菜などの農業も行われています。

特産品・名産

  • 和束茶町の斜面に広がる茶園でつくる宇治茶
  • トマト府が紹介する町の農産物
  • 花菜府が紹介する町の農産物

見どころ・祭り

  • 安積親王和束墓茶畑に囲まれた丘にある墓
  • 正法寺紅葉の参道や四脚門がある寺
  • 弥勒磨崖仏白栖の岩に刻まれた石仏
  • 金胎寺鷲峰山にある山寺

木杉花お茶の花鳥キジ和束町の木・花・鳥

和束町のなりたち

和束町(わづかちょう)は、京都府山城地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。東和束村・中和束村・西和束村・湯船村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の和束町になりました。

今の名前「和束町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の湯船村が約24km²だったのに対し、今の和束町は約64km²と、およそ2.7倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は相楽郡に属していました。

41920年の町村の数
2回合併・編入の回数
65km²今の面積
1956年いちばん新しい合併

「和束町」という名前

「和束」は、古くからこの地域に使われてきた名前です。平安時代から鎌倉時代には「和豆香杣之荘」や「和束荘」と呼ばれ、寺社の建築に使う木材を供給する土地でした。1954年、西和束村・中和束村・東和束村が合併すると、この名を引き継いで和束町となりました。のちに加わった湯船村と合わせ、四つの村を「和」で束ねる意味が町章にも込められています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、相楽郡西和束村・中和束村・東和束村・湯船村が発足しました。西和束村は石寺村・白栖村・撰原村・下島村、中和束村は釜塚村・別所村・南村・杣田村・木屋村が合わさった村です。東和束村は原山村・門前村・園村・中村が合わさり、湯船村は一つの村として存続しました。和束川沿いの村々が、四つの行政区域にまとまりました。

この地域は、奈良時代には恭仁京と紫香楽宮を結ぶ道が通る場所でした。寺社の荘園を経て、江戸時代には禁裏御料地となり、朝廷と結び付いた文化が育まれました。山の斜面では茶が栽培され、宇治茶の産地として発展してきました。

1953年(昭和28年)8月の南山城大水害では、町域にも大きな被害が出ました。翌1954年(昭和29年)12月15日、西和束村・中和束村・東和束村が新設合併し、和束町が誕生しました。1956年(昭和31年)9月30日には湯船村が和束町に編入され、現在の区域となりました。四つの村の名前は、今も茶畑のある集落や地域を表す名前として受け継がれています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、相楽郡石寺村・白栖村・撰原村・下島村が合併して相楽郡西和束村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、相楽郡釜塚村・別所村・南村・杣田村・木屋村が合併して相楽郡中和束村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、相楽郡原山村・門前村・園村・中村が合併して相楽郡東和束村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  4. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、相楽郡湯船村が単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  5. 1954年12月15日昭和29年相楽郡西和束村・中和束村・東和束村が合併して相楽郡和束町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kyoto.jp
  6. 1956年9月30日昭和31年相楽郡湯船村が相楽郡和束町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.kyoto.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

和束町1954〜今
湯船村1889〜1956
東和束村1889〜1954
中和束村1889〜1954
西和束村1889〜1954

参考にした資料