今の福知山市
京都府北西部、由良川と土師川が出会う福知山盆地を中心とする市です。中心部は明智光秀ゆかりの城下町で、鉄道や国道が集まる北近畿の交通の要地でもあります。周囲には田園や山間の集落が広がり、三和・夜久野・大江の地域ごとに異なる景観が続きます。長田野工業団地のものづくりと、城下の商業、山あいの農業がまちの暮らしを支えています。
今の福知山市の区域の人口は、2020年の国勢調査で77,306人です。今の区域で数えた1980年の81,398人とくらべると5.0%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は30.3%です。
主な産業:長田野工業団地の製造業、中心市街地の商業、山間部の農業が営まれています。
特産品・名産
- 夜久野漆器夜久野で受け継がれる漆器
- 夜久野産そば夜久野で栽培されるそば
- 福知山茶福知山産の玉露やほうじ茶
見どころ・祭り
- 福知山城明智光秀が整えた城の再建天守
- 御霊神社明智光秀を合祀する神社
- 福知山市治水記念館由良川と水害対策の歴史を伝える
木ケヤキ、カシ、ヒノキ、梅花キキョウ、サツキ、ハギ、レンゲツツジ、藤鳥ウグイス、キジ福知山市の木・花・鳥
福知山市のなりたち
福知山市(ふくちやまし)は、京都府中丹地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、28の町村がありました。庵我村・雀部村・下豊富村・下川口村・西中筋村・上豊富村・河守上村・有路下村・有路上村・河西村・河守町・河東村・川合村・細見村・菟原村・雲原村・金山村・三岳村・上川口村・金谷村・下六人部村・上六人部村・中六人部村・下夜久野村・中夜久野村・佐賀村・上夜久野村・福知山町です。これらの町村が、9回の合併や編入を経て、今の福知山市になりました。
今の名前「福知山市」は、1920年にあった福知山町の名前を受け継いでいます。ほかの27の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は何鹿郡・加佐郡・天田郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、天田郡は2006年(平成18年)1月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧上川口村の区域には上川口駅(山陰本線)があります。旧下夜久野村の区域には下夜久野駅(山陰本線)があります。旧上夜久野村の区域には上夜久野駅(山陰本線)があります。
「福知山市」という名前
「福知山」の名は、明智光秀が丹波を平定した後、横山城を改修して「福智山城」と名づけたことに由来すると伝えられています。城とともに整えられた城下町にも、その名が使われるようになりました。旧福知山町が1937年に市となってからも名前は引き継がれ、三和・夜久野・大江の各町を編入した後の市名にも受け継がれています。
まちの成り立ち
福知山は、由良川流域の城下町を中心に発展しました。1889年(明治22年)4月1日に天田郡福知山町が発足します。1918年には曽我井村を、1936年には雀部村・庵我村・下豊富村を編入しました。1937年(昭和12年)4月1日に市制を施行し、福知山市となります。
1949年には西中筋村・下川口村・上豊富村を編入しました。1955年には上六人部村・中六人部村・下六人部村・上川口村・三岳村・金谷村・金山村・雲原村が加わります。翌年には佐賀村が分かれ、報恩寺・印内・山野口と私市の一部が福知山市に入りました。
周辺でも昭和の大合併が進みました。河守町は1951年に周囲の5村を編入して大江町と改称します。菟原・細見・川合の3村は1955年に三和村をつくり、翌年に町となりました。夜久野町は1956年に中夜久野・下夜久野の2村で生まれ、1959年に上夜久野村と新設合併します。2006年(平成18年)1月1日、三和町・夜久野町・大江町の3町が福知山市へ編入されました。城下の商業都市に、山間の農村や大江山の麓の集落が加わって現在の市域が形づくられています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、天田郡に福知山町・菟原村・川合村・細見村・上六人部村・中六人部村・下六人部村・西中筋村・雀部村・曽我井村・庵我村・上豊富村・下豊富村・上川口村・下川口村・金山村・三岳村・金谷村・上夜久野村・中夜久野村・下夜久野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、何鹿郡佐賀村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、与謝郡雲原村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、加佐郡河守上村・河守下村・河西村・河東村・有路上村・有路下村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年12月10日明治23年加佐郡河守下村が町制を施行し、名称を変更して河守町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1902年4月1日明治35年与謝郡雲原村の所属郡が天田郡に変更された。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1918年4月1日大正7年天田郡曽我井村が天田郡福知山町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1936年10月1日昭和11年天田郡雀部村・庵我村・下豊富村が天田郡福知山町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1937年4月1日昭和12年天田郡福知山町が市制を施行し、福知山市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.kyoto.jp
- 1949年4月1日昭和24年天田郡西中筋村・下川口村・上豊富村が福知山市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.kyoto.jp
- 1951年4月1日昭和26年加佐郡河守上村・河西村・河東村・有路上村・有路下村が加佐郡河守町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.kyoto.jp
- 1951年4月1日昭和26年加佐郡河守町が改称し、大江町となった。種類:改称 出典:www.pref.kyoto.jp
- 1955年3月31日昭和30年天田郡菟原村・細見村・川合村が合併し、天田郡三和村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kyoto.jp
- 1955年4月1日昭和30年天田郡上六人部村・中六人部村・下六人部村・上川口村・三岳村・金谷村・金山村・雲原村が福知山市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.kyoto.jp
- 1956年4月1日昭和31年天田郡三和村が町制を施行し、三和町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kyoto.jp
- 1956年9月30日昭和31年何鹿郡佐賀村が分割され、報恩寺・印内・山野口と私市の一部が福知山市に、石原・小貝と私市の一部が綾部市に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年天田郡中夜久野村・下夜久野村が合併し、天田郡夜久野町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kyoto.jp
- 1958年11月1日昭和33年天田郡夜久野町の一部(大油子・小倉)が天田郡上夜久野村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.kyoto.jp
- 1959年1月1日昭和34年天田郡夜久野町・上夜久野村が合併し、改めて天田郡夜久野町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kyoto.jp
- 2006年1月1日平成18年天田郡三和町・夜久野町と加佐郡大江町が福知山市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.kyoto.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.city.fukuchiyama.lg.jp/site/mitsuhidemuseum/18094.html
- www.city.fukuchiyama.lg.jp/soshiki/3/1009.html
- www.city.fukuchiyama.lg.jp/reiki/reiki_honbun/k103RG00000012.html
- dokkoise.com/specialty/
- www.city.fukuchiyama.lg.jp/site/mitsuhide/index.html
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%A4%A9%E7%94%B0%E9%83%A1&action=raw
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8A%A0%E4%BD%90%E9%83%A1&action=raw
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BD%95%E9%B9%BF%E9%83%A1&action=raw
- ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%83%A1&action=raw
- www.pref.kyoto.jp/rekisaikan/documents/dayori148.pdf
- www.pref.kyoto.jp/rekisaikan/documents/1_2_5s21-43.pdf