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精華町せいかちょう

1920年には4の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の精華町になりました。

4町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の精華町

京都府南西部にあり、奈良県に接する町です。東部を木津川が流れ、西部には丘陵が広がります。京都・大阪・奈良の三つの都市の間に位置し、古くから川の水運や周辺地域との往来に支えられてきました。今は関西文化学術研究都市の一角を担い、研究施設や新しい住宅地が集まっています。一方、川沿いには農地や古くからの集落があり、いちごや野菜の栽培が続いています。

今の精華町の区域の人口は、2020年の国勢調査で36,198人です。今の区域で数えた1980年の15,334人とくらべると136.1%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は25.1%です。

36,198人人口(2020年)
+136.1%1980年からの増減
25.68km²面積(国土地理院)
1,410人/km²人口密度
25.1%65歳以上の割合
36,3761980199020052020
15歳未満 14.1%15〜64歳 60.8%65歳以上 25.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:学研都市の研究施設や住宅地が集まり、いちごや野菜の農業も行われています。

特産品・名産

  • いちご町を代表するハウス栽培の果物
  • 青とうがらし明治後半から栽培されてきた野菜
  • えびいも曲がった形をしたサトイモの一種

見どころ・祭り

  • けいはんな記念公園学研都市の建設を記念した公園
  • 華やぎ観光農園いちご狩りを体験する農園
  • ひろびろ苺ファームいちごを栽培する観光農園

木カシ花バラ精華町の木・花

精華町のなりたち

精華町(せいかちょう)は、京都府山城地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。狛田村・稲田村・祝園村・山田荘村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の精華町になりました。

今の名前「精華町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の山田荘村が約9km²だったのに対し、今の精華町は約25km²と、およそ2.8倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は相楽郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧祝園村の区域には祝園駅(片町線)があります。

41920年の町村の数
2回合併・編入の回数
26km²今の面積
1951年いちばん新しい合併

「精華町」という名前

「精華」の町名は、学校の名前に由来します。1892年から1920年まであった精華高等小学校と、1947年に創立された精華中学校の校名が、村名、そして町名に受け継がれました。これらの学校は、精華町ができる前から周辺の村々が共同で運営していました。1951年、川西村と山田荘村が合併して精華村となり、1955年の町制施行で精華町という名になりました。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、相楽郡狛田村・稲田村・祝園村・山田荘村が発足しました。狛田村は下狛村・菱田村、稲田村は北稲八間村・南稲八妻村・植田村が合わさった村です。祝園村は祝園村・菅井村、山田荘村は山田村・乾谷村・柘榴村・東畑村が合併してできました。村々は学校を共同で運営し、1892年に精華高等小学校、1947年には精華中学校が生まれています。

1931年(昭和6年)10月1日、狛田村・稲田村・祝園村が合併し、川西村となりました。1951年(昭和26年)4月1日には川西村と山田荘村が合併して精華村が誕生しました。学校の名を引き継いだ村は、1955年(昭和30年)4月1日に町制を施行して精華町となりました。

その後、関西文化学術研究都市の建設が町の姿を変えていきます。1985年には学研都市の起工式が行われ、1988年には桜が丘地区がまちびらきを迎えました。1989年には国際電気通信基礎技術研究所が開所しました。農村の集落と新しい住宅地、研究施設が隣り合う町へと発展しています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、相楽郡下狛村・菱田村が合併して相楽郡狛田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、相楽郡北稲八間村・南稲八妻村・植田村が合併して相楽郡稲田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、相楽郡祝園村・菅井村が合併して相楽郡祝園村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  4. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、相楽郡山田村・乾谷村・柘榴村・東畑村が合併して相楽郡山田荘村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  5. 1931年10月1日昭和6年相楽郡狛田村・稲田村・祝園村が合併して相楽郡川西村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  6. 1951年4月1日昭和26年相楽郡川西村・山田荘村が合併して相楽郡精華村が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.seika.kyoto.jp
  7. 1955年4月1日昭和30年相楽郡精華村が町制を施行して相楽郡精華町となった。種類:町制施行 出典:www.town.seika.kyoto.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

精華町1951〜今
山田荘村1889〜1951
川西村1931〜1951
狛田村1889〜1931
稲田村1889〜1931
祝園村1889〜1931同じ名前の駅:祝園駅

参考にした資料