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城陽市じょうようし

1920年には4の町村だった区域が、1回の合併・編入を経て、今の城陽市になりました。

4町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の城陽市

京都府南部、山城盆地の中央にある市です。西を木津川が流れ、東には丘陵が続き、京都と奈良の中間のまちとして「五里五里のさと」と呼ばれています。久津川古墳群や寺社が古い歴史を伝え、青谷梅林は春の花と梅の産地として知られます。川沿いには茶園や農地があり、イチジクや寺田いもなども生産され、住宅地や工場と農業の風景が隣り合っています。

今の城陽市の区域の人口は、2020年の国勢調査で74,607人です。今の区域で数えた1980年の74,350人とくらべると0.3%ふえ、人口は1995年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は34.1%です。

74,607人人口(2020年)
+0.3%1980年からの増減
32.71km²面積(国土地理院)
2,281人/km²人口密度
34.1%65歳以上の割合
85,3981980199020052020
15歳未満 11.6%15〜64歳 54.3%65歳以上 34.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:梅・碾茶・イチジクなどの農業と、金銀糸をはじめとする製造業が営まれています。

特産品・名産

  • 梅(城州白)青谷梅林で育てる大粒の梅
  • 碾茶木津川沿いでつくる抹茶の原料
  • イチジク完熟で収穫する市の特産果実

見どころ・祭り

  • 青谷梅林江戸時代から生産が続く梅林
  • 久津川古墳群車塚古墳などが残る古墳群
  • 荒見神社重要文化財の本殿を伝える神社
  • 鴻ノ巣山市のシンボルとして親しまれる丘陵

木梅花花しょうぶ鳥しらさぎ城陽市の木・花・鳥

城陽市のなりたち

城陽市(じょうようし)は、京都府山城地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。久津川村・寺田村・富野荘村・青谷村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の城陽市になりました。

今の名前「城陽市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の寺田村が約11km²だったのに対し、今の城陽市は約32km²と、およそ3.0倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は久世郡・綴喜郡に属していました。

41920年の町村の数
1回合併・編入の回数
33km²今の面積
1951年いちばん新しい合併

「城陽市」という名前

「城陽」は、山城の「城」と、日の当たる側を表す「陽」を合わせた名前です。「陽」には縁起のよい言葉としての意味も込められています。1951年に久津川・寺田・富野荘・青谷の4村が合併して城陽町が生まれ、1972年の市制施行後もこの名を引き継ぎました。京都と奈良の中間にある土地を表す名として親しまれています。

まちの成り立ち

城陽は山城盆地の中央にあり、西に木津川、東に丘陵が広がるまちです。京都と奈良の双方から五里ほどの位置にあるため、「五里五里のさと」と呼ばれています。久津川古墳群には古代の大きな前方後円墳が残り、南部の青谷では江戸時代から梅の栽培が営まれてきました。

1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、久世郡久津川村・寺田村・富野荘村と綴喜郡青谷村が発足しました。久津川村は久世村・平川村と上津屋村の一部、寺田村は寺田村と水主村、富野荘村は富野村・枇杷荘村・観音堂村を合わせた村です。青谷村は奈島村・市辺村と、久世郡の中村を合わせて生まれました。

1951年(昭和26年)4月1日、この4村が新設合併して久世郡城陽町が誕生しました。1972年(昭和47年)5月3日には市制を施行し、城陽市となりました。木津川沿いの茶園では抹茶の原料となる碾茶がつくられ、青谷の梅、イチジクや寺田いもなどの農産物も受け継がれています。鴻ノ巣山や寺社、古墳のある土地に住宅地や産業の拠点が広がり、古代からの歴史と都市の暮らしが重なる市となっています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、久世郡久世村・平川村と上津屋村の一部(浜上津屋・里上津屋を除く)が合併して久世郡久津川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、久世郡寺田村と綴喜郡水主村が合併して久世郡寺田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、久世郡富野村・枇杷荘村・観音堂村が合併して久世郡富野荘村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  4. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、綴喜郡奈島村・市辺村と久世郡中村が合併して綴喜郡青谷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  5. 1951年4月1日昭和26年久世郡久津川村・寺田村・富野荘村と綴喜郡青谷村が合併して久世郡城陽町が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.joyo.kyoto.jp
  6. 1972年5月3日昭和47年久世郡城陽町が市制を施行して城陽市となった。種類:市制施行 出典:www.city.joyo.kyoto.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

城陽町→城陽市1951〜今
久津川村1889〜1951
寺田村1889〜1951
富野荘村1889〜1951
青谷村1889〜1951

参考にした資料