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八幡市やわたし

1920年には3の町村だった区域が、1回の合併・編入を経て、今の八幡市になりました。

3町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の八幡市

京都府南部、京都と大阪の中間に位置する市です。北西部では桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となり、背割堤の桜並木が川辺を彩ります。男山には国宝の石清水八幡宮が鎮座し、ふもとには門前町の歴史が残ります。松花堂昭乗ゆかりの庭園や流れ橋なども知られ、住宅地の広がる丘陵と、梨や筍、碾茶を生産する農地が身近にあるまちです。

今の八幡市の区域の人口は、2020年の国勢調査で70,433人です。今の区域で数えた1980年の64,882人とくらべると8.6%ふえ、人口は1995年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は31.5%です。

70,433人人口(2020年)
+8.6%1980年からの増減
24.35km²面積(国土地理院)
2,893人/km²人口密度
31.5%65歳以上の割合
75,7791980199020052020
15歳未満 11.7%15〜64歳 56.8%65歳以上 31.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:都市近郊の農業では梨、筍、碾茶などを生産し、門前町の商業や観光も営まれています。

特産品・名産

  • 梨幸水や豊水を中心に生産する果物
  • 筍肉厚で柔らかな市の代表的な産物
  • 碾茶木津川沿いで育てる抹茶の原料

見どころ・祭り

  • 石清水八幡宮男山に鎮座する国宝の社殿
  • 背割堤三川合流域にある桜並木
  • 松花堂庭園・美術館松花堂昭乗ゆかりの文化を伝える施設
  • 流れ橋木津川に架かる木造の橋

木くすのき花さつき鳥しじゅうから八幡市の木・花・鳥

八幡市のなりたち

八幡市(やわたし)は、京都府山城地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。都々城村・有智郷村・八幡町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の八幡市になりました。

今の名前「八幡市」は、1920年にあった八幡町の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の八幡町が約14km²だったのに対し、今の八幡市は約23km²と、およそ1.7倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は綴喜郡に属していました。

31920年の町村の数
1回合併・編入の回数
24km²今の面積
1954年いちばん新しい合併

「八幡市」という名前

「八幡」の名は、男山に鎮座する石清水八幡宮とともに受け継がれてきました。859年に九州から八幡神が迎えられ、石清水八幡宮が建立されると、その門前にまちが発展しました。1954年には八幡町と都々城村、有智郷村が合併し、八幡町の名を引き継ぎました。1977年に市制を施行して八幡市となり、門前町の歴史を伝えています。

まちの成り立ち

八幡は、木津川や淀川の水運と、古山陰道や東高野街道、京街道の陸路が交わる交通の要地として歩んできました。859年に石清水八幡宮が建立されると、その門前町として発展しました。江戸時代初期には松花堂昭乗が八幡宮の坊舎に住み、書や茶の湯、和歌を通じて文化人たちと交流しました。

1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、綴喜郡八幡町・都々城村・有智郷村が発足しました。八幡町は八幡町・八幡荘の大部分・川口村、都々城村は岩田村・野尻村・上奈良村・下奈良村・八幡荘の一部と久世郡上津屋村の一部、有智郷村は内里村・戸津村・美濃山村・新開村が合わさった町村です。1954年(昭和29年)10月1日、八幡町に都々城村と有智郷村が編入されました。

京都と大阪の都市圏が広がるにつれて住宅地としての開発が進み、昭和40年代後半には男山団地の開発を主な要因として人口が急増しました。1977年(昭和52年)11月1日、八幡町が市制を施行して八幡市が誕生しました。今も男山の緑、門前の町並み、三つの川の合流域や農地が、都市の暮らしとともに残っています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、綴喜郡八幡町・八幡荘の大部分・川口村が合併して改めて綴喜郡八幡町が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、綴喜郡岩田村・野尻村・上奈良村・下奈良村・八幡荘の一部と久世郡上津屋村の一部(浜上津屋・里上津屋)が合併して綴喜郡都々城村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、綴喜郡内里村・戸津村・美濃山村・新開村が合併して綴喜郡有智郷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  4. 1954年10月1日昭和29年綴喜郡八幡町が綴喜郡都々城村・有智郷村を編入した。種類:編入 出典:www.pref.kyoto.jp
  5. 1977年11月1日昭和52年綴喜郡八幡町が市制を施行して八幡市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

八幡町→八幡市1889〜今
都々城村1889〜1954
有智郷村1889〜1954

参考にした資料