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大山崎町おおやまざきちょう

大山崎町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の大山崎町

京都府の南西端、乙訓郡にある町で、大阪府島本町に接しています。天王山の麓に町並みが広がり、桂川・宇治川・木津川が集まって淀川となる地域に位置します。古くから京都と大阪を結ぶ交通の要地で、山崎の合戦の舞台としても知られます。今も鉄道や幹線道路が通り、住宅地と工場、農地が並びます。妙喜庵の待庵や離宮八幡宮など、寺社や史跡が町の歴史を伝えています。

今の大山崎町の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,953人です。今の区域で数えた1980年の16,283人とくらべると2.0%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は27.4%です。

15,953人人口(2020年)
−2.0%1980年からの増減
5.97km²面積(国土地理院)
2,672人/km²人口密度
27.4%65歳以上の割合
16,7171980199020052020
15歳未満 14.7%15〜64歳 57.9%65歳以上 27.4%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:製造業や商業に加え、たけのこ、なす、バラなどの栽培が行われています。

特産品・名産

  • たけのこ乙訓地域で栽培される春の産物
  • 山科なす府が紹介する町の京野菜
  • バラ町内で栽培される切り花

見どころ・祭り

  • 妙喜庵・待庵千利休が造ったと伝わる国宝の茶室
  • 離宮八幡宮大山崎の油座と結び付いた神社
  • 宝積寺三重塔や閻魔王像を伝える寺

木赤松花さくら鳥うぐいす大山崎町の木・花・鳥

大山崎町のなりたち

大山崎町(おおやまざきちょう)は、京都府山城地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに大山崎村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、府内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は乙訓郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
6km²今の面積

「大山崎町」という名前

「大山崎」は、町ができる前から使われてきた土地の名前です。明治の町村制施行では、大山崎荘と円明寺村・下植野村が合わさり、大山崎村となりました。1967年の町制施行でもこの名を引き継ぎ、大山崎町となりました。地名そのものの詳しい由来ははっきりしていません。今も大山崎・円明寺・下植野の三つの地域名が使われ、町章にもそのまとまりが表されています。

まちの成り立ち

大山崎は、天王山と川に挟まれた交通の要地として歩んできました。奈良時代以降は都へ向かう人や物が行き交い、平安時代には平安京の西の玄関口となりました。鎌倉・室町時代には、離宮八幡宮を本所とする油座の神人たちが荏胡麻油の生産や販売に携わり、自治都市として発展しました。

1582年の山崎の合戦では、羽柴秀吉と明智光秀がこの地で戦いました。勝った秀吉は城を築き、千利休が茶室・待庵を造ったと伝わります。江戸時代には八幡宮の神領として自治が認められ、街道沿いの町場もにぎわいました。

1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、大山崎荘・円明寺村・下植野村が合併し、乙訓郡大山崎村が発足しました。1928年には新京阪電車が通って大山崎駅が開設されました。交通網の整備とともに、村の暮らしも変わっていきます。1967年(昭和42年)11月3日、大山崎村が町制を施行して大山崎町となりました。現在も三つの地域が一つの町を形づくり、天王山の歴史や町内の寺社が土地の記憶を伝えています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、乙訓郡大山崎荘・円明寺村・下植野村が合併して乙訓郡大山崎村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1967年11月3日昭和42年乙訓郡大山崎村が町制を施行して乙訓郡大山崎町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kyoto.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

大山崎村→大山崎町1889〜今

参考にした資料