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京田辺市きょうたなべし

1920年には5の町村だった区域が、1回の合併・編入を経て、今の京田辺市になりました。

5町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の京田辺市

京都府南部にあり、木津川と西側の丘陵に挟まれた市です。全国有数の玉露の産地で、茶園のほか、なすやえびいもなどの農業が行われています。一休禅師ゆかりの酬恩庵一休寺や、国宝の観音像を伝える大御堂観音寺など、歴史ある寺社も点在します。川沿いには平野が開け、丘陵には農村や住宅地が広がり、京都・大阪・奈良と結ばれた暮らしの場となっています。

今の京田辺市の区域の人口は、2020年の国勢調査で73,753人です。今の区域で数えた1980年の39,198人とくらべると88.2%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は24.4%です。

73,753人人口(2020年)
+88.2%1980年からの増減
42.92km²面積(国土地理院)
1,718人/km²人口密度
24.4%65歳以上の割合
73,7531980199020052020
15歳未満 15.0%15〜64歳 60.7%65歳以上 24.4%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:玉露をはじめ、なす、えびいも、たけのこなどの農業が営まれています。

特産品・名産

  • 宇治玉露市を代表する高品質な茶
  • 田辺なす市内で栽培するなす
  • えびいも京都の伝統的な農産物

見どころ・祭り

  • 酬恩庵一休寺一休禅師が晩年を過ごした寺
  • 大御堂観音寺国宝の十一面観音立像を伝える寺
  • 甘南備山市西部にある自然と歴史の山

木なんきんはぜ花ひらどつつじ京田辺市の木・花

京田辺市のなりたち

京田辺市(きょうたなべし)は、京都府山城地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。大住村・草内村・三山木村・普賢寺村・田辺町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の京田辺市になりました。

今の名前「京田辺市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の田辺町が約10km²だったのに対し、今の京田辺市は約42km²と、およそ4.0倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は綴喜郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧大住村の区域には大住駅(片町線)があります。

51920年の町村の数
1回合併・編入の回数
43km²今の面積
1951年いちばん新しい合併

「京田辺市」という名前

「京田辺市」の名前は、1997年の市制施行に伴って田辺町から引き継がれたものです。田辺村は1906年に町制を施行して田辺町となり、1951年には周辺の四つの村を編入して現在の市域が形づくられました。市制施行の前日には町の閉町式、当日には新しい市の開市式が行われ、田辺の名を含む京田辺市として歩み始めました。

まちの成り立ち

京田辺は京都府の南部にあり、東を木津川が流れ、西には甘南備山などの丘陵が広がります。酬恩庵は一休禅師が晩年を過ごした寺として知られ、一休寺の名で親しまれています。山麓の農地では玉露や野菜が生産され、寺社と農村の暮らしが地域の歴史を伝えてきました。

1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、綴喜郡田辺村・大住村・草内村・三山木村・普賢寺村が発足しました。田辺村は田辺村・薪村・興戸村・河原村、大住村は大住村・松井村、草内村は草内村・東村・飯岡村、三山木村は三山木村・宮津村、普賢寺村は水取村・多々羅村・上村・天王村・高船村・打田村が合わさった村です。1906年(明治39年)10月12日、田辺村が町制を施行して田辺町となりました。

1951年(昭和26年)4月1日、田辺町が大住村・三山木村・草内村・普賢寺村を編入し、現在の市域となりました。その後は住宅地としての発展が進み、1995年の国勢調査では人口が5万人を超えました。1997年(平成9年)4月1日、田辺町は市制を施行して田辺市となり、同日に京田辺市へ名称を変更しました。玉露の茶園や丘陵の寺社を受け継ぎながら、周辺都市と結ばれたまちとして歩みを重ねています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、綴喜郡田辺村・薪村・興戸村・河原村が合併して改めて綴喜郡田辺村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、綴喜郡大住村・松井村が合併して改めて綴喜郡大住村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、綴喜郡草内村・東村・飯岡村が合併して改めて綴喜郡草内村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  4. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、綴喜郡三山木村・宮津村が合併して改めて綴喜郡三山木村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  5. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、綴喜郡水取村・多々羅村・上村・天王村・高船村・打田村が合併して綴喜郡普賢寺村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  6. 1906年10月12日明治39年綴喜郡田辺村が町制を施行して綴喜郡田辺町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  7. 1951年4月1日昭和26年綴喜郡田辺町が綴喜郡大住村・三山木村・草内村・普賢寺村を編入した。種類:編入 出典:www.city.kyotanabe.lg.jp
  8. 1997年4月1日平成9年綴喜郡田辺町が市制を施行して田辺市となった。種類:市制施行 出典:www.city.kyotanabe.lg.jp
  9. 1997年4月1日平成9年田辺市が京田辺市に名称を変更した。種類:改称 出典:www.city.kyotanabe.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

田辺町→京田辺市1906〜今
大住村1889〜1951同じ名前の駅:大住駅
草内村1889〜1951
三山木村1889〜1951
普賢寺村1889〜1951

参考にした資料