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笠置町かさぎちょう

笠置町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の笠置町

京都府南部の相楽郡にある町で、南側は奈良県に接しています。中央を木津川が流れ、川の南に町の象徴である笠置山があります。笠置寺の磨崖仏や後醍醐天皇ゆかりの史跡が、山中に残っています。山麓には関西本線の笠置駅があり、国道163号も木津川に沿って通ります。春の桜や秋の紅葉とともに、川辺でのキャンプやカヌーを楽しむ人が訪れる町です。

今の笠置町の区域の人口は、2020年の国勢調査で1,144人です。今の区域で数えた1980年の2,506人とくらべると54.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は52.9%です。

1,144人人口(2020年)
−54.3%1980年からの増減
23.52km²面積(国土地理院)
49人/km²人口密度
52.9%65歳以上の割合
2,5061980199020052020
15歳未満 4.4%15〜64歳 42.7%65歳以上 52.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:笠置山の史跡と木津川の自然を生かした観光や、野菜の栽培が行われています。

特産品・名産

  • キジ鍋町で親しまれてきた冬の名物料理
  • 花菜府が紹介する町の農産物
  • 青とうがらし府が紹介する町の農産物

見どころ・祭り

  • 笠置山・笠置寺磨崖仏や後醍醐天皇ゆかりの史跡
  • 笠置の桜山麓や川沿いに広がる桜
  • 木津川のキャンプ・カヌー川辺の自然を生かした体験

木ミヤマツツジ花ソメイヨシノ鳥ウグイス笠置町の木・花・鳥

笠置町のなりたち

笠置町(かさぎちょう)は、京都府山城地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに笠置村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、府内でもめずらしい町です。

1920年の時点で、この区域の町村は相楽郡に属していました。

11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
24km²今の面積

「笠置町」という名前

「笠置」の名には、大海人皇子が山で狩りをしたときの伝説があります。鹿を追って崖から落ちそうになった皇子は、山の神に助けを願い、助かると弥勒仏を彫ると約束したと伝わります。目印に笠を置いた岩が「笠置石」と呼ばれ、白鷺に導かれたという話とともに、山や土地の名につながったとされます。笠置山には弥勒磨崖仏が残っています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、相楽郡笠置村・切山村・有市村・飛鳥路村が合併し、相楽郡笠置村が発足しました。笠置山の麓と木津川沿いの集落が一つの村になりました。笠置山は古くから信仰の場で、山中には弥勒磨崖仏などが残っています。1331年には後醍醐天皇がこの山に入り、鎌倉幕府の軍勢と戦った舞台にもなりました。

1897年には関西鉄道の伊賀上野・加茂間が開通し、笠置駅が設けられました。翌年には木津川沿いの岩場を切り開いた道ができ、周辺のまちとの往来が増えていきます。明治末には川の南北を結ぶ橋が架かり、大正期には笠置山への登山道も改修されました。

1928年に笠置山史跡名勝地保存会が発足し、1932年には笠置山と山麓、木津川の景勝地が国の史跡名勝に指定されました。1934年(昭和9年)1月1日には、笠置村が町制を施行して笠置町となりました。1949年には府立自然公園に指定されています。山の歴史と、川でのキャンプやカヌーが、今の町の観光を支えています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、相楽郡笠置村・切山村・有市村・飛鳥路村が合併して相楽郡笠置村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1934年1月1日昭和9年相楽郡笠置村が町制を施行して相楽郡笠置町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kyoto.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

笠置村→笠置町1889〜今

参考にした資料