今の宇城市
今の宇城市の区域の人口は、2020年の国勢調査で57,032人です。今の区域で数えた1980年の62,412人とくらべると8.6%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.1%です。
宇城市のなりたち
宇城市(うきし)は、熊本県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、15の町村がありました。当尾村・豊福村・豊川村・郡浦村・大嶽村・戸馳村・河江村・小野部田村・松合町・海東村・不知火村・豊野村・松橋町・三角町・小川町です。これらの町村が、6回の合併や編入を経て、今の宇城市になりました。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1954年(昭和29年)12月1日に当尾村・豊福村・豊川村が合わさって、松橋町が生まれました。1955年(昭和30年)2月1日に郡浦村・大嶽村・戸馳村が合わさって、三角町が生まれました。1955年(昭和30年)4月1日に河江村・小野部田村が合わさって、益南村が生まれました。1956年(昭和31年)9月30日に松合町が合わさって、不知火町が生まれました。1956年(昭和31年)9月30日に不知火村が町になり、不知火町となりました(町制施行)。1958年(昭和33年)3月31日に海東村・益南村が合わさって、小川町が生まれました。この時期だけで6回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2000年(平成12年)7月1日に豊野村が町になり、豊野町となりました(町制施行)。2005年(平成17年)1月15日に不知火町・豊野町・松橋町・三角町・小川町が合わさって、宇城市が生まれました。
今の名前「宇城市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの15の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の豊野村が約30km²だったのに対し、今の宇城市は約182km²と、およそ6.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は下益城郡・宇土郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、宇土郡は2005年(平成17年)1月15日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧松橋町の区域には松橋駅(鹿児島本線)があります。旧三角町の区域には三角駅(三角線)があります。旧小川町の区域には小川駅(鹿児島本線)があります。
年表
- 1954年12月1日昭和29年当尾村・豊福村・豊川村が合わさって、松橋町が生まれた出典:wiki
- 1955年2月1日昭和30年郡浦村・大嶽村・戸馳村が合わさって、三角町が生まれた出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日・wiki
- 1955年4月1日昭和30年河江村・小野部田村が合わさって、益南村が生まれた出典:wiki
- 1956年9月30日昭和31年松合町が合わさって、不知火町が生まれた出典:wiki
- 1956年9月30日昭和31年不知火村が町になり、不知火町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1958年3月31日昭和33年海東村・益南村が合わさって、小川町が生まれた出典:wiki
- 2000年7月1日平成12年豊野村が町になり、豊野町となった(町制施行)e-Stat「豊野村(43345)が豊野町(43345)に町制施行」
- 2005年1月15日平成17年不知火町・豊野町・松橋町・三角町・小川町が合わさって、宇城市が生まれたe-Stat「三角町(43321)、不知火町(43322)、松橋町(43343)、小川町(43344)、豊野町(43345)が合併し、宇城市(43213)を新設 宇土郡(43320)の廃止」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。