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美里町みさとまち

1920年には4の町村だった区域が、4回の合併・編入を経て、今の美里町になりました。

4町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の美里町

今の美里町の区域の人口は、2020年の国勢調査で9,392人です。今の区域で数えた1980年の14,727人とくらべると36.2%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は47.0%です。

9,392人人口(2020年)
−36.2%1980年からの増減
144km²面積(国土地理院)
65人/km²人口密度
47.0%65歳以上の割合
14,9831980199020052020
15歳未満 8.3%15〜64歳 44.7%65歳以上 47.0%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

美里町のなりたち

美里町(みさとまち)は、熊本県の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。年弥村・中山村・東砥用村・西砥用村です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の美里町になりました。

明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1924年(大正13年)4月1日に西砥用村が町になり、砥用町となりました(町制施行)。1935年ごろに年弥村が、名前を年禰村に変えました。

1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1955年(昭和30年)1月1日に年禰村の一部が、砥用町に入りました。1955年(昭和30年)1月1日に中山村・年禰村が合わさって、中央村が生まれました。1955年(昭和30年)4月1日に東砥用村が合わさって、砥用町が生まれました。この時期だけで3回の変化があり、町村の数は大きく減りました。

その後、1975年(昭和50年)9月1日に中央村が町になり、中央町となりました(町制施行)。

1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2004年(平成16年)11月1日に砥用町・中央町が合わさって、美里町が生まれました。

今の名前「美里町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の西砥用村が約51km²だったのに対し、今の美里町は約138km²と、およそ2.7倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は下益城郡に属していました。

41920年の町村の数
4回合併・編入の回数
144km²今の面積
2004年いちばん新しい合併

年表

  1. 1924年4月1日大正13年西砥用村が町になり、砥用町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  2. 1935年ごろ1920〜1950年のあいだ年弥村が、名前を年禰村に変えた
  3. 1955年1月1日昭和30年年禰村の一部が、砥用町に入った出典:wiki
  4. 1955年1月1日昭和30年中山村・年禰村が合わさって、中央村が生まれた出典:wiki
  5. 1955年4月1日昭和30年東砥用村が合わさって、砥用町が生まれた出典:wiki
  6. 1975年9月1日昭和50年中央村が町になり、中央町となった(町制施行)e-Stat「中央村(43346)が中央町(43346)に町制施行」
  7. 2004年11月1日平成16年砥用町・中央町が合わさって、美里町が生まれたe-Stat「中央町(43346)、砥用町(43347)が合併し、美里町(43348)を新設」

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

美里町2004〜今
西砥用村→砥用町1889〜2004
東砥用村1889〜1955
年弥村→年禰村1889〜1955
中央村→中央町1955〜2004
中山村1889〜1955