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芦北町あしきたまち

1920年には5の町村だった区域が、3回の合併・編入を経て、今の芦北町になりました。

5町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の芦北町

今の芦北町の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,681人です。今の区域で数えた1980年の27,413人とくらべると42.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.8%です。

15,681人人口(2020年)
−42.8%1980年からの増減
234.01km²面積(国土地理院)
67人/km²人口密度
44.8%65歳以上の割合
27,4131980199020052020
15歳未満 10.3%15〜64歳 44.9%65歳以上 44.8%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

芦北町のなりたち

芦北町(あしきたまち)は、熊本県の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。吉尾村・佐敷町・大野村・湯浦村・田浦村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の芦北町になりました。

1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1951年(昭和26年)10月1日に湯浦村が町になり、湯浦町となりました(町制施行)。1955年(昭和30年)1月1日に吉尾村・佐敷町・大野村が合わさって、葦北町が生まれました。1958年(昭和33年)4月1日に田浦村が町になり、田浦町となりました(町制施行)。この時期だけで3回の変化があり、町村の数は大きく減りました。

その後、1970年(昭和45年)11月1日に湯浦町・葦北町が合わさって、芦北町が生まれました。

1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2005年(平成17年)1月1日に田浦町が合わさって、芦北町が生まれました。

今の名前「芦北町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の湯浦村が約59km²だったのに対し、今の芦北町は約224km²と、およそ3.8倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は葦北郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧吉尾村の区域には吉尾駅(肥薩線)があります。旧佐敷町の区域には佐敷駅(肥薩おれんじ鉄道線)があります。旧湯浦村の区域には湯浦駅(肥薩おれんじ鉄道線)があります。

51920年の町村の数
3回合併・編入の回数
234km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

年表

  1. 1951年10月1日昭和26年湯浦村が町になり、湯浦町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  2. 1955年1月1日昭和30年吉尾村・佐敷町・大野村が合わさって、葦北町が生まれた出典:wiki
  3. 1958年4月1日昭和33年田浦村が町になり、田浦町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
  4. 1970年11月1日昭和45年湯浦町・葦北町が合わさって、芦北町が生まれたe-Stat「葦北郡芦北町新設のため」
  5. 2005年1月1日平成17年田浦町が合わさって、芦北町が生まれたe-Stat「田浦町(43481)、芦北町(43482)が合併し、芦北町を新設」

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

芦北町1970〜今
田浦村→田浦町1889〜2005
湯浦村→湯浦町1889〜1970同じ名前の駅:湯浦駅
葦北町1955〜1970
吉尾村1889〜1955同じ名前の駅:吉尾駅
佐敷町1903〜1955同じ名前の駅:佐敷駅
大野村1889〜1955