今の牛久市
茨城県南部にある、台地と谷あいの低地に広がるまちです。常磐線の牛久駅とひたち野うしく駅の周辺に市街地や住宅地があり、東側には田畑や林が残ります。牛久という地名は牛久沼とも結び付いていますが、沼の水面は龍ケ崎市に属します。市内には日本のワイン醸造の歴史を伝える牛久シャトーや、牛久大仏があります。鉄道沿線の住宅都市としての性格と、旧村から続く農村の景観を併せ持ちます。
今の牛久市の区域の人口は、2020年の国勢調査で84,651人です。今の区域で数えた1980年の40,164人とくらべると110.8%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は29.4%です。
主な産業:首都圏へ通勤する人の住宅地が広がり、農業と歴史文化の観光も根付いています。
特産品・名産
- ヤマイチ味噌市内で受け継がれる味噌づくり
- 落花生牛久の特産として親しまれる
- とこしえ味噌かりんとう味噌を使った地域の菓子
見どころ・祭り
- 牛久シャトー近代のワイン醸造の歴史を伝える
- 牛久大仏大きな仏像と庭園がある観光施設
- 牛久自然観察の森里山の生き物や植物に触れる森
木キンモクセイ花キク鳥ウグイス牛久市の木・花・鳥
牛久市のなりたち
牛久市(うしくし)は、茨城県県南地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。岡田村・奥野村・牛久村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の牛久市になりました。
今の名前「牛久市」は、1920年にあった牛久村の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の牛久村が約12km²だったのに対し、今の牛久市は約59km²と、およそ5.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は稲敷郡に属していました。
「牛久市」という名前
牛久市の名は、旧牛久村と牛久町から引き継いだものです。牛久という地名の詳しい語源は、はっきりしていません。牛久沼にまつわる地名の伝説も伝わっています。1954年に牛久村が町となり、同年の岡田村との新設合併でも牛久町の名を採用しました。1986年の市制施行によって現在の牛久市となりました。
まちの成り立ち
牛久は、常磐線沿線の市街地と、台地の畑や谷あいの水田が広がる地域を合わせたまちです。1889年の町村制では牛久村・岡田村・奥野村が発足しました。牛久村と岡田村は河内郡、奥野村は信太郡に属していましたが、1896年の郡の再編で稲敷郡の町村になりました。
1954年の元日に牛久村が町制を施行し、牛久町となりました。同年4月には牛久町と岡田村が新設合併し、改めて牛久町が生まれました。名前が同じでも、町制施行と二町村の新設合併は別の段階です。翌1955年には奥野村が牛久町に編入されました。現在のまちの基礎となる三つの旧村は、町制、新設合併、編入という異なる手順で一つにまとまっています。
牛久町は1986年に市制を施行し、牛久市となりました。平成の大合併では新しい合併を行わず、昭和にできたまとまりを引き継いでいます。旧牛久村から続く市街地だけでなく、岡田や奥野の地域も市の歴史を支えています。牛久町に加わった岡田村や奥野村の区域には農地が広がり、鉄道沿線の市街地と農村を併せ持つ市となりました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、牛久村・岡田村・奥野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年牛久村・岡田村・奥野村の所属郡が河内郡・信太郡から稲敷郡に変わった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1954年1月1日昭和29年牛久村が町制を施行し、牛久町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1954年4月1日昭和29年牛久町と岡田村が合併し、新たな牛久町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1955年2月10日昭和30年奥野村が牛久町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1986年6月1日昭和61年牛久町が市制を施行し、牛久市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。