今の美浦村
茨城県南部、霞ヶ浦の南岸にある村です。湖岸には低地が広がり、内陸には台地と谷あいの田畑、集落があります。木原・安中・舟子などの地域からなり、湖と農地に囲まれた景観が残っています。村内には競走馬を育成する美浦トレーニング・センターがあり、競馬に関連する仕事も地域の特色です。陸平貝塚など、霞ヶ浦のほとりで営まれてきた古い暮らしを伝える遺跡も見られます。
今の美浦村の区域の人口は、2020年の国勢調査で14,602人です。今の区域で数えた1980年の13,509人とくらべると8.1%ふえ、人口は2000年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は32.1%です。
主な産業:米やマッシュルームなどの農業と、美浦トレセンの競走馬育成が盛んです。
特産品・名産
- 光一点村のブランド米
- マッシュルーム村内で盛んに生産される
- パプリカ地域の農業を支える野菜
見どころ・祭り
- JRA美浦トレーニングセンター競走馬の調教拠点
- 美浦村文化財センター陸平貝塚などの歴史を紹介する
- みほふれ愛プラザ村の産品や交流を楽しむ施設
木ヤマザクラ花ヤマユリ美浦村の木・花
美浦村のなりたち
美浦村(みほむら)は、茨城県県南地域の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。木原村・安中村・舟島村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の美浦村になりました。
今の名前「美浦村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの3の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の木原村が約20km²だったのに対し、今の美浦村は約67km²と、およそ3.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は稲敷郡に属していました。
「美浦村」という名前
美浦村の名前は、1955年の合併で生まれた村に付けられました。木原村・安中村と舟島村の舟子地区を合わせて、まず霞村が成立しましたが、その日のうちに美浦村へ改称されています。木原村と安中村、舟島村の舟子地区から霞村が生まれ、その日に美浦村へ改称しました。「美浦」という村名の詳しい選定理由ははっきりしていません。現在も合併当時の村名を使っています。
まちの成り立ち
美浦村は、霞ヶ浦南岸の木原村と安中村、舟島村の一部を合わせてできた村です。1889年の町村制では、これらは別々の村として発足しました。木原村と安中村は湖岸の地域をまとめ、舟島村の区域は現在の美浦村と阿見町の双方につながっています。1896年の郡の再編で、各村は信太郡から稲敷郡へ移りました。
1955年4月1日に木原村・安中村と舟島村の舟子地区が合併し、霞村が成立しました。しかし、その日のうちに美浦村へ改称されています。合併によって生まれた霞村は、その日のうちに美浦村へ名称を変えました。舟島村の舟子地区も発足時に加わり、霞ヶ浦の湖岸に木原・安中・舟子の区域を持つ村が生まれました。
舟島村の残りは同じ月の20日に阿見町へ編入されました。一つの旧村の区域が、合併先を分けて引き継がれた形です。美浦村はその後、町制や市制を施行せず、平成の大合併でも独立した村として続いています。木原・安中・舟子は現在も地区名として残り、湖岸の各集落が一つの村の中で暮らしを重ねています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、舟島村・木原村・安中村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年木原村・安中村・舟島村の所属郡が信太郡から稲敷郡に変わった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年木原村・安中村と舟島村の一部(舟子)が合併し、霞村が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1955年4月1日昭和30年霞村が美浦村に改称された。種類:改称 出典:www.pref.ibaraki.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。