今の阿見町
茨城県南部、霞ヶ浦の南西岸に位置するまちです。湖岸から内陸の台地へ広がり、住宅地と農地、工業団地が市街地の周囲にあります。土浦に近い地域や荒川本郷には住宅地が広がり、君原などには田畑の景観が残ります。霞ヶ浦周辺の歴史を伝える施設として、予科練平和記念館があります。湖に面した集落と内陸の農村に、住宅地や事業所が重なり、地域ごとに異なる性格を持つまちです。
今の阿見町の区域の人口は、2020年の国勢調査で48,553人です。今の区域で数えた1980年の33,720人とくらべると44.0%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は28.0%です。
主な産業:メロンなどの農業と食品製造、アウトレットの商業が盛んです。
特産品・名産
- 阿見グリーンメロン大玉で甘さが特色の町の特産
- スイカ大玉の栽培に歴史がある
- ヤーコン町内で加工品づくりも行われる
見どころ・祭り
- あみプレミアム・アウトレット多くの店舗が集まる商業施設
- 予科練平和記念館予科練と地域の歴史を伝える
- 雄翔館・雄翔園予科練の記憶を伝える施設と庭園
木サクラ花キク鳥ウグイス阿見町の木・花・鳥
阿見町のなりたち
阿見町(あみまち)は、茨城県県南地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。朝日村・君原村・舟島村・阿見村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の阿見町になりました。
今の名前「阿見町」は、1920年にあった阿見村の名前を受け継いでいます。ほかの3の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の阿見村が約16km²だったのに対し、今の阿見町は約71km²と、およそ4.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は稲敷郡に属していました。
「阿見町」という名前
阿見町の名は、旧阿見村から引き継いだものです。阿見という地名の詳しい語源は、はっきりしていません。1889年の町村制で阿見村が発足し、1945年に町制を施行した際も同じ名前を使いました。1955年には阿見町・朝日村・君原村の新設合併で、改めて阿見町が生まれています。同名で続いているものの、村から町になった段階と、三町村が新しい町を作った段階は別の出来事です。
まちの成り立ち
阿見町は、霞ヶ浦沿いの村々と内陸の農村がまとまったまちです。1889年には阿見村・朝日村・君原村・舟島村が発足しました。各村は当初信太郡に属し、1896年に稲敷郡の町村となりました。阿見村は1945年5月7日に町制を施行して、最初の阿見町になりました。
1948年には朝日村の沖新田・荒川本郷・荒川沖の各一部が土浦市へ移りました。残った朝日村は、1955年4月1日に阿見町・君原村と新設合併し、改めて阿見町が生まれました。1945年に村が町となった段階と、1955年に三町村が新しい町を作った段階は別です。町名が同じでも、旧阿見町も合併の当事者として数える必要があります。
同じ4月1日には舟島村の舟子地区が木原村・安中村との合併に加わり、美浦村へつながりました。舟島村の残りは4月20日に阿見町へ編入されています。舟島村は、区域ごとに美浦村と阿見町に分かれました。平成の大合併では新しい合併を行わず、現在の町は昭和にまとまった区域を受け継いでいます。朝日や君原、舟島という地域の名前にも、この過程が残っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、阿見村・朝日村・舟島村・君原村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年阿見村・朝日村・君原村・舟島村の所属郡が信太郡から稲敷郡に変わった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1945年5月7日昭和20年阿見村が町制を施行し、阿見町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1948年9月1日昭和23年朝日村の一部(沖新田・荒川本郷・荒川沖の各一部)が土浦市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1955年4月1日昭和30年阿見町・朝日村・君原村が合併し、新たな阿見町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1955年4月1日昭和30年舟島村の一部(舟子)が木原村・安中村と合併して霞村となり、即日美浦村に改称された。種類:分割 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1955年4月20日昭和30年舟島村の残部が阿見町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.ibaraki.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。