今の龍ケ崎市
茨城県南部にある、稲敷台地と低地にまたがるまちです。市の西側には牛久沼があり、周辺には水田が広がります。旧龍ケ崎町の中心部には商店街や寺社が残り、台地には住宅地が広がっています。常磐線の龍ケ崎市駅と、関東鉄道竜ヶ崎線の竜ヶ崎駅は別の場所にあり、鉄道で結ばれています。牛久沼の水辺、農村、旧町の市街地、台地の住宅地という異なる景観を持つまちです。
今の龍ケ崎市の区域の人口は、2020年の国勢調査で76,420人です。今の区域で数えた1980年の43,132人とくらべると77.2%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は29.5%です。
主な産業:商業や農業に加え、クリスタルガラスの製造とご当地グルメが根付いています。
特産品・名産
- 龍ケ崎コロッケ地域のお店が工夫を凝らす名物
- ウナギ牛久沼周辺で親しまれる名物料理
- カガミクリスタル職人の技術が生きるクリスタルガラス
見どころ・祭り
- 牛久沼水辺公園湖畔で水鳥や水辺の景色を楽しむ公園
- 龍ケ崎森林公園緑の中で散策や遊びを楽しめる公園
- 撞舞高い柱の上で演じる伝統の祭礼
木マツ花キキョウ鳥ハクチョウ龍ケ崎市の木・花・鳥
龍ケ崎市のなりたち
龍ケ崎市(りゅうがさきし)は、茨城県県南地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。馴柴村・八原村・長戸村・川原代村・大宮村・北文間村・高須村・龍ケ崎町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の龍ケ崎市になりました。
今の名前「龍ケ崎市」は、1920年にあった龍ケ崎町の名前を受け継いでいます。ほかの7の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の龍ケ崎町が約7km²だったのに対し、今の龍ケ崎市は約78km²と、およそ11.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北相馬郡・稲敷郡に属していました。
「龍ケ崎市」という名前
龍ケ崎という名前には、いくつかの説があります。市が紹介する説の一つは、城のあった台地から稲敷台地へ続く地形を龍の姿に見立てたというものです。この土地を治めた龍崎氏の名に結び付ける説もあります。いずれの説も、一つには定まっていません。町村制後の龍ケ崎町から、1954年の市制施行を経て、現在の市名へと引き継がれました。
まちの成り立ち
龍ケ崎は、旧町の市街地と稲敷台地の農村、牛久沼周辺の低地を合わせたまちです。1889年には龍ケ崎町、馴柴村、八原村、長戸村、大宮村などが発足しました。川原代村・北文間村・高須村も、後に市域へつながる町村です。当初は河内郡と北相馬郡に分かれていました。
1896年には河内郡と信太郡の大部分を合わせて稲敷郡が成立し、龍ケ崎町などの所属郡が変わりました。1954年3月には馴柴村・八原村・長戸村・大宮村・川原代村・北文間村が龍ケ崎町に編入され、その日に町が市制を施行して龍ケ崎市となりました。周辺の六村を編入した龍ケ崎町が、その日に市制を施行して龍ケ崎市となりました。
翌1955年には高須村の高須・大留の各一部が市に編入されました。高須村全域が龍ケ崎市に入ったのではなく、残りの区域は藤代町の成立に加わっています。平成の大合併では周辺町村を加えず、昭和にまとまった市域を受け継いでいます。馴柴・八原・長戸の各村も昭和の編入に加わり、旧町の中心部と周囲の農村が龍ケ崎市の区域になりました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、龍ケ崎町・馴柴村・八原村・長戸村・川原代村・高須村・大宮村・北文間村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年龍ケ崎町・馴柴村・八原村・長戸村・大宮村の所属郡が河内郡から稲敷郡に変わった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1954年3月20日昭和29年馴柴村・八原村・長戸村・大宮村・川原代村・北文間村が龍ケ崎町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1954年3月20日昭和29年龍ケ崎町が市制を施行し、龍ケ崎市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1955年2月21日昭和30年高須村の一部(高須・大留の各一部)が龍ケ崎市に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ibaraki.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。