今の利根町
茨城県南端、利根川沿いにあるまちです。川の北側に台地と低地が広がり、布川の町場や住宅地、文間方面の農村が町を構成しています。利根川を渡る栄橋を通じて千葉県と結ばれています。川沿いには河川敷の景観が広がり、内陸には水田や集落が見られます。布川の歴史や地域の文化を伝える施設として柳田國男記念公苑があります。川沿いの暮らしと、台地の集落や住宅地が重なるまちです。
今の利根町の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,340人です。今の区域で数えた1980年の14,378人とくらべると6.7%ふえ、人口は1990年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は45.0%です。
主な産業:米を中心に、いちごやアスパラガスなどの農業が地域を支えています。
特産品・名産
- 米平坦な田園地帯で栽培される
- いちご町内で生産される農産物
- アスパラガス農業を支える園芸作物
見どころ・祭り
- 蛟蝄神社水辺の歴史を伝える神社
- 柳田國男記念公苑民俗学者ゆかりの旧家と庭園
- 利根親水公園水辺の草花を楽しめる公園
木サクラ花カンナ鳥ヨシキリ利根町の木・花・鳥
利根町のなりたち
利根町(とねまち)は、茨城県県南地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。文間村・文村・東文間村・布川町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の利根町になりました。
今の名前「利根町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の東文間村が約8km²だったのに対し、今の利根町は約25km²と、およそ3.2倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北相馬郡に属していました。
「利根町」という名前
利根町の名前は、町の南側を流れる利根川にちなんでいます。1955年に布川町・文村・文間村・東文間村が合併して生まれた町の名前として採用されました。旧町村の一つの名前をそのまま使うのではなく、地域の暮らしと深く結び付いた川の名を町名にしています。布川や文間などの旧町村の名前は地域の地名として残り、町全体を表す名前には利根が使われています。
まちの成り立ち
利根町は、利根川沿いの布川町と、周囲の農村を合わせてできたまちです。1889年の町村制では布川町・文村・文間村・東文間村が発足しました。いずれも北相馬郡の町村で、川沿いの町場と台地、低地の村々が別々の自治体として歩んでいました。布川町と文村・文間村・東文間村の区域が、現在の町の基盤となりました。
昭和の大合併では、1955年の元日に四町村が新設合併し、利根町が生まれました。布川町が三村を編入したのではなく、布川町も含めて新しい町を作った合併です。また、文村・文間村・東文間村は似た名前ですが、それぞれ別の村でした。文村・文間村・東文間村はそれぞれ別の村として発足し、布川町とともに利根町を構成しました。
利根町はその後も独立した町として続き、平成の大合併では周辺の市町村と新しい合併を行っていません。そのため、昭和の四町村のまとまりが現在の町の骨格になっています。布川や文間などの旧町村名は、現在も地域の地名に残っています。町名に採用した利根川とともに、川沿いの暮らしと、台地や農村の歴史を受け継いでいます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、文間村・文村・東文間村・布川町が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年1月1日昭和30年布川町・文村・文間村・東文間村が合併し、利根町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。