茨城県 › 八千代町

八千代町やちよまち

1920年には5の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の八千代町になりました。

5町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の八千代町

茨城県南西部、関東平野のほぼ中央に位置する町です。東は鬼怒川を隔てて下妻市に接し、中央を流れる山川の東には水田、西には畑地が広がります。地形はおおむね平坦で、平地林も残っています。国道125号が町の中央を東西に走り、古河市や結城市、常総市、坂東市と結ばれます。昭和にまとまった五つの村の地域を持つ町です。

今の八千代町の区域の人口は、2020年の国勢調査で21,026人です。今の区域で数えた1980年の22,845人とくらべると8.0%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は30.8%です。

21,026人人口(2020年)
−8.0%1980年からの増減
59.1km²面積(概算)
356人/km²人口密度
30.8%65歳以上の割合
25,0081980199020052020
15歳未満 11.3%15〜64歳 57.8%65歳以上 30.8%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:白菜やメロン、梨などの栽培を中心に園芸農業が盛んです。

特産品・名産

  • 白菜町を代表する園芸作物
  • メロン畑地で盛んに栽培される
  • 梨銘柄産地として親しまれる果物

見どころ・祭り

  • 八千代グリーンビレッジ自然林を生かした憩いの施設
  • 新長谷寺八町観音の名でも知られる寺
  • 尾崎前山遺跡製鉄炉跡地古代の製鉄を伝える史跡

木ケヤキ花キク鳥ヒバリ八千代町の木・花・鳥

八千代町のなりたち

八千代町(やちよまち)は、茨城県県西地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。川西村・中結城村・西豊田村・下結城村・安静村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の八千代町になりました。

今の名前「八千代町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の安静村が約16km²だったのに対し、今の八千代町は約59km²と、およそ3.8倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は真壁郡・結城郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、真壁郡は2005年(平成17年)10月1日に廃止されました。

51920年の町村の数
2回合併・編入の回数
59km²今の面積
1955年いちばん新しい合併

「八千代町」という名前

八千代という名前は、1955年に五つの村が合併して八千代村となった際に採用されました。「八千代」は、非常に長い年月を意味し、末長い繁栄を祝う言葉です。この村名を選んだ詳しい理由は、はっきりしていません。1972年には八千代村が町となり、八千代の名はそのまま現在の町名へ受け継がれています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制で、現在の町につながる中結城村・下結城村が結城郡、安静村が岡田郡、西豊田村が豊田郡、川西村が真壁郡に発足しました。五つの村は当初四つの郡に分かれていました。1896年には岡田郡と豊田郡が結城郡へ統合され、安静村と西豊田村の所属も変わりました。

1955年1月1日、中結城村・下結城村・安静村・西豊田村・川西村が新設合併し、結城郡八千代村が生まれました。真壁郡に属していた川西村も、この新村にまとまりました。昭和の合併で、現在の町の基礎となる五地区が一つの自治体になった形です。

同年6月には、三和村から旧名崎村の成田新田が分かれ、八千代村へ入りました。

1972年2月1日、八千代村が町制を施行し、八千代町となりました。平成の大合併による新しい自治体への移行はなく、昭和にまとまった町が続いています。東の鬼怒川と中央の山川に沿って水田や畑が広がり、旧五村の地域が町の成り立ちに受け継がれています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年結城郡に中結城村・下結城村・名崎村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1889年4月1日明治22年岡田郡に安静村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1889年4月1日明治22年豊田郡に西豊田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  4. 1889年4月1日明治22年真壁郡に川西村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  5. 1889年4月1日明治22年猿島郡に幸島村・八俣村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  6. 1896年4月1日明治29年岡田郡安静村・豊田郡西豊田村が、再編された結城郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  7. 1955年1月1日昭和30年西豊田村・安静村・中結城村・下結城村・川西村が合併し、八千代村が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
  8. 1955年2月11日昭和30年幸島村・八俣村・名崎村が合併し、三和村が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
  9. 1955年6月昭和30年三和村の成田新田が八千代村に編入された。種類:一部編入 出典:www.town.ibaraki-yachiyo.lg.jp
  10. 1972年2月1日昭和47年八千代村が町制を施行し、八千代町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

八千代村→八千代町1955〜今
川西村1889〜1955
中結城村1889〜1955
西豊田村1889〜1955
下結城村1889〜1955
安静村1889〜1955

参考にした資料