今の結城市
茨城県西部、鬼怒川と田川の沿岸にある結城野に位置する市です。結城氏や水野氏の城下町として発展し、町並みには曲折した道や土蔵が残ります。結城紬と農産物の集散地としての歴史も持っています。市街地の周辺には、昭和の合併で加わった絹川・上山川・山川・江川の地域が広がります。市の木は養蚕と紬に関わる桑、花は品種を限定しないユリです。
今の結城市の区域の人口は、2020年の国勢調査で50,645人です。今の区域で数えた1980年の49,387人とくらべると2.5%ふえ、人口は1995年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は30.7%です。
主な産業:結城紬や桐たんすの伝統工芸と、白菜などの農業が地域を支えています。
特産品・名産
- 本場結城紬手仕事で受け継がれる絹織物
- 桐たんす地域に根付く伝統的な家具づくり
- ゆでまんじゅう結城で親しまれる郷土の菓子
見どころ・祭り
- つむぎの館結城紬の歴史や手仕事に触れる施設
- 見世蔵城下町の商いを伝える蔵造りの建物
- 結城蔵美館蔵を生かした美術と歴史の展示施設
木クワ花ユリ結城市の木・花
結城市のなりたち
結城市(ゆうきし)は、茨城県県西地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。山川村・絹川村・上山川村・江川村・結城町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の結城市になりました。
今の名前「結城市」は、1920年にあった結城町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の結城町が約20km²だったのに対し、今の結城市は約66km²と、およそ3.3倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は結城郡に属していました。
「結城市」という名前
麻や木綿の原料を産した土地が、古く「ゆうき」と呼ばれたことが、結城の名の由来と伝えられています。これが結城郡や城下町の名前につながりました。麻や木綿の生産に結び付く地名の伝承が、織物のまちにも受け継がれています。1889年の結城町から、1954年の市制施行後も同じ名前を受け継いでいます。
まちの成り立ち
結城は、鬼怒川と田川に近い結城野のまちです。鎌倉時代に結城朝光が城を築き、結城氏、のちには水野氏の城下町として発展しました。結城紬や農産物の集散地でもあり、水運と織物の歴史がまちの成り立ちに結びついています。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、結城郡に結城町・絹川村・上山川村・山川村・江川村が発足しました。結城町は旧結城町などをまとめ、南部には四つの村が行政を担う区域として置かれました。同年には水戸線が開通し、駅前の地域も発展していきます。
昭和の合併は二日に分かれて行われました。1954年3月14日に山川村が結城町へ編入され、翌15日には絹川村・上山川村・江川村が加わりました。そのうえで同日に市制を施行し、結城市となっています。山川村を先に編入し、翌日の三村の編入と市制によって結城市となりました。
平成の大合併では市の新設や他町村の編入はなく、昭和にまとまった市が続いています。城下町の曲がりくねった道や土蔵、織物の歴史と、南部の村々に由来する地域をあわせ持つ市です。
年表
- 1889年4月1日明治22年結城郡に結城町・絹川村・上山川村・山川村・江川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1954年3月14日昭和29年山川村が結城町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1954年3月15日昭和29年絹川村・上山川村・江川村が結城町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1954年3月15日昭和29年結城町が市制を施行し、結城市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。