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行方市なめがたし

1920年には13の町村だった区域が、4回の合併・編入を経て、今の行方市になりました。

13町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の行方市

霞ヶ浦と北浦の間に位置し、台地の農業と湖の漁業、水運の歴史を持つ市です。麻生・北浦・玉造の三町が新設合併し、旧行方郡の名を市名として受け継ぎました。麻生には藩の陣屋町としての歩みがあり、湖辺と台地に広がる地域がそれぞれ昭和の合併を経てまとまっています。市の花はヤマユリ、木はイチョウ、鳥はシラサギです。麻生・玉造・北浦の旧三町が合併して、霞ヶ浦と北浦に面する市となりました。

今の行方市の区域の人口は、2020年の国勢調査で32,185人です。今の区域で数えた1980年の42,660人とくらべると24.6%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.1%です。

32,185人人口(2020年)
−24.6%1980年からの増減
222.4km²面積(概算)
145人/km²人口密度
36.1%65歳以上の割合
43,0741980199020052020
15歳未満 10.0%15〜64歳 54.0%65歳以上 36.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:サツマイモやレンコンなどの農業と、湖の漁業が地域を支えています。

特産品・名産

  • サツマイモ行方ブランドを支える農産物
  • レンコン湖に近い農地で栽培される
  • 行方バーガー地元の食材を生かしたご当地グルメ

見どころ・祭り

  • らぽっぽなめがたファーマーズヴィレッジ農業と食に触れる体験施設
  • 西蓮寺文化財や大イチョウで知られる寺
  • 霞ヶ浦ふれあいランド湖に親しむ観光の拠点

木イチョウ花ヤマユリ鳥シラサギ行方市の木・花・鳥

行方市のなりたち

行方市(なめがたし)は、茨城県鹿行地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、13の町村がありました。現原村・立花村・手賀村・玉川村・行方村・大和村・小高村・太田村・武田村・要村・津澄村・玉造町・麻生町です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の行方市になりました。

今の名前「行方市」は、1920年にあった行方市の名前を受け継いでいます。ほかの12の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の行方村が約8km²だったのに対し、今の行方市は約222km²と、およそ29.7倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は行方郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、行方郡は2005年(平成17年)9月2日に廃止されました。

131920年の町村の数
4回合併・編入の回数
222km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

「行方市」という名前

行方市は、麻生町・北浦町・玉造町の新設合併で生まれた市の名称です。旧三町が属した行方郡の名を受け継いでいます。「行方」の地名には、ヤマトタケルノミコトが「行細し」と表現したことに由来するという伝承があります。古くから郡名として用いられた行方の名が、平成の新設合併で市名にも採用されました。2005年9月2日、三町が一つの市となり、行方郡は消滅しましたが、その名は現在の市名に残りました。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制で、現在の市域には行方郡の麻生町・玉造町と多くの村が置かれました。麻生には藩の陣屋町としての歴史があり、霞ヶ浦と北浦に挟まれた地域では、農業や漁業、水運が暮らしを支えていました。後に三町へまとまる村々も、この時期に自治体として発足します。

1955年1月1日、旧玉造町と立花・現原・手賀・玉川の四村が新設合併し、新しい玉造町となりました。同年3月31日には旧麻生町と太田・大和・行方・小高の四村が合併して、新しい麻生町が生まれます。旧町の名前を引き継いでも、周辺村を編入したものとは法的な方式が異なります。

同年4月1日には武田・津澄・要の三村が合併し、北浦村となりました。北浦村は1997年10月1日に町制を施行して北浦町となり、昭和の合併でまとまった地域は麻生・北浦・玉造の三町として平成の合併を迎えます。

2005年9月2日、三町が新設合併して行方市が誕生しました。どれか一町にほかの町が入ったのではなく、三町を廃して新しい市を置いた合併です。湖での漁業や行方台地の農業を含む各地域の歴史を引き継ぎ、古い郡の名が一つの市の名として残ることになりました。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年行方郡に麻生町・玉造町・太田村・大和村・行方村・小高村・立花村・現原村・手賀村・玉川村・武田村・津澄村・要村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1955年1月1日昭和30年玉造町・立花村・現原村・手賀村・玉川村が合併し、新しい玉造町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
  3. 1955年3月31日昭和30年麻生町・太田村・大和村・行方村・小高村が合併し、新しい麻生町となった。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
  4. 1955年4月1日昭和30年武田村・津澄村・要村が合併し、北浦村となった。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
  5. 1997年10月1日平成9年北浦村が町制を施行し、北浦町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp
  6. 2005年9月2日平成17年麻生町・北浦町・玉造町が合併し、行方市となった。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

行方市2005〜今
玉造町1889〜2005
現原村1889〜1955
立花村1889〜1955
手賀村1889〜1955
玉川村1889〜1955
麻生町1889〜2005
行方村1889〜1955
大和村1889〜1955
小高村1889〜1955
太田村1889〜1955
北浦村→北浦町1955〜2005
武田村1889〜1955
要村1889〜1955
津澄村1889〜1955

参考にした資料