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北茨城市きたいばらきし

1920年には7の町村だった区域が、2回の合併・編入を経て、今の北茨城市になりました。

7町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の北茨城市

茨城県の北端で、太平洋に面し、福島県いわき市と接するまちです。海岸側には低地があり、大北川や里根川の流域に平坦な土地が広がっています。西側には山林があります。農業と漁業に加えて、常磐炭田の石炭産業が発展を支え、現在は工業の地域も形成されています。大津や平潟の港、磯原などの温泉が海辺の暮らしを伝えています。五浦の六角堂など、自然の景観と文化に結びつく場所も残っています。

今の北茨城市の区域の人口は、2020年の国勢調査で41,801人です。今の区域で数えた1980年の47,670人とくらべると12.3%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は34.5%です。

41,801人人口(2020年)
−12.3%1980年からの増減
188.8km²面積(概算)
221人/km²人口密度
34.5%65歳以上の割合
52,0741980199020052020
15歳未満 10.5%15〜64歳 55.0%65歳以上 34.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:漁業と海産物の加工、五浦や花園の自然を生かした観光が盛んです。

特産品・名産

  • アンコウ鍋港町に伝わるあんこうの郷土料理
  • 磯原まんじゅう赤糖の生地とこしあんを使う菓子
  • 鮟鱇ひとすじあんこうを使ったチップ状の加工品

見どころ・祭り

  • 六角堂岡倉天心が設計した五浦の建物
  • 花園神社杉などの古木に囲まれた神社
  • 十石堀江戸時代から使われる農業用水路

木マツ花シャクナゲ鳥カモメ北茨城市の木・花・鳥

北茨城市のなりたち

北茨城市(きたいばらきし)は、茨城県県北地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、7の町村がありました。華川村・関本村・平潟町・大津町・関南村・北中郷村・南中郷村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の北茨城市になりました。

今の名前「北茨城市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの7の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の関本村が約63km²だったのに対し、今の北茨城市は約189km²と、およそ3.0倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は多賀郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、多賀郡は2004年(平成16年)11月1日に廃止されました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧大津町の区域には大津港駅(常磐線)があります。旧南中郷村の区域には南中郷駅(常磐線)があります。

71920年の町村の数
2回合併・編入の回数
189km²今の面積
1956年いちばん新しい合併

「北茨城市」という名前

市の名前は、茨城県の北端に位置することを表しています。1956年に六つの町村が合併した際、まず「茨城市」が置かれ、同じ日に「北茨城市」へ改称されました。昭和の合併で磯原、大津、平潟などを一つにまとめる、新しい市の名前です。古い町村のうち一つの名をそのまま市名とせず、県の北部にある広い地域を示す名前が現在まで続いています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制で、多賀郡に大津町、平潟町、関本村、関南村、北中郷村、南中郷村、華川村が置かれました。海岸では農業や漁業が営まれ、近代には石炭の産地として地域が発展しました。常磐炭田に結びつく産業の成長は、山側と海側を結ぶまちの歩みにも影響しました。

北中郷村は1924年に町制を施行し、磯原町となりました。1955年4月1日には磯原町と華川村が新設合併し、改めて磯原町が発足しました。名前は同じでも、町の区域は広がっています。翌1956年3月31日、その磯原町と南中郷村、関南村、大津町、平潟町、関本村が合併し、茨城市が誕生しました。市は同日に北茨城市へ改称されました。

平成の大合併では別の市町村と合併せず、この市域を引き継いでいます。旧町村の名は、磯原町、華川町、関本町などの住所にも残りました。海岸の港や温泉と、内陸の山林や工業の地域が一つの市にまとまっています。六角堂のある五浦も、現在の市を形づくる海辺の地域の一つです。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、多賀郡の大津町、平潟町、関本村、関南村、北中郷村、南中郷村、華川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1924年10月20日大正13年北中郷村が改称して町制を施行し、磯原町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp
  3. 1955年4月1日昭和30年磯原町、華川村が新設合併し、磯原町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
  4. 1956年3月31日昭和31年南中郷村、磯原町、関南村、大津町、平潟町、関本村が新設合併し、茨城市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
  5. 1956年3月31日昭和31年茨城市が北茨城市に改称した。種類:改称 出典:www.pref.ibaraki.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

北茨城市1956〜今
関本村1889〜1956
平潟町1889〜1956
大津町1889〜1956
関南村1889〜1956
北中郷村→磯原町1889〜1956
華川村1889〜1955
南中郷村1889〜1956同じ名前の駅:南中郷駅

参考にした資料