今の柳川市
今の柳川市の区域の人口は、2020年の国勢調査で64,475人です。今の区域で数えた1980年の82,185人とくらべると21.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は33.7%です。
柳川市のなりたち
柳川市(やながわし)は、福岡県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、11の町村がありました。久間田村・浜武村・沖端村・城内村・西宮永村・東宮永村・両開村・柳河町・蒲池村・三橋村・大和村です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の柳川市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1937年(昭和12年)1月1日に久間田村・浜武村が合わさって、昭代村が生まれました。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1951年(昭和26年)4月1日に沖端村・城内村・西宮永村・東宮永村・両開村が合わさって、柳川市が生まれました。1952年(昭和27年)4月1日に柳河町が、柳川市と一つになりました。1952年(昭和27年)6月1日に三橋村が町になり、三橋町となりました(町制施行)。1952年(昭和27年)9月1日に大和村が町になり、大和町となりました(町制施行)。1955年(昭和30年)1月1日に蒲池村・昭代村が、柳川市に入りました(編入)。この時期だけで5回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2005年(平成17年)3月21日に三橋町・大和町が合わさって、柳川市が生まれました。
今の名前「柳川市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの11の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の大和村が約22km²だったのに対し、今の柳川市は約75km²と、およそ3.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は三潴郡・山門郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、山門郡は2007年(平成19年)1月29日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧三橋村の区域には三橋駅(佐賀線)があります。
年表
- 1937年1月1日昭和12年久間田村・浜武村が合わさって、昭代村が生まれた出典:wiki
- 1951年4月1日昭和26年沖端村・城内村・西宮永村・東宮永村・両開村が合わさって、柳川市が生まれた出典:wiki
- 1952年4月1日昭和27年柳河町が、柳川市と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1952年6月1日昭和27年三橋村が町になり、三橋町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1952年9月1日昭和27年大和村が町になり、大和町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1955年1月1日昭和30年蒲池村・昭代村が、柳川市に入った(編入)出典:wiki
- 2005年3月21日平成17年三橋町・大和町が合わさって、柳川市が生まれたe-Stat「柳川市(40207)、大和町(40562)、三橋町(40563)が合併し、柳川市を新設」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。