今の久留米市
今の久留米市の区域の人口は、2020年の国勢調査で303,316人です。今の区域で数えた1980年の280,291人とくらべると8.2%ふえ、人口は2005年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は28.7%です。
久留米市のなりたち
久留米市(くるめし)は、福岡県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、33の町村がありました。国分村・節原村・御井村・柴刈村・川合村・合川村・山川村・上津荒木村・高良内村・水分村・水繩村・竹野村・船越村・安武村・荒木村・青木村・江上村・金島村・大城村・弓削村・犬塚村・下広川村・大善寺村・宮ノ陣村・山本村・大橋村・草野町・善導寺村・北野町・田主丸町・城島町・三潴村・久留米市です。これらの町村が、20回の合併や編入を経て、今の久留米市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1922年(大正11年)8月1日に国分村が、久留米市と一つになりました。1923年(大正12年)8月1日に節原村が、久留米市に入りました(編入)。1935年ごろに川合村が、名前を川會村に変えました。1939年(昭和14年)2月11日に大善寺村が町になり、大善寺町となりました(町制施行)。1940年(昭和15年)2月11日に善導寺村が町になり、善導寺町となりました(町制施行)。1943年(昭和18年)10月1日に御井村が、久留米市と一つになりました。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1949年(昭和24年)9月1日に荒木村が町になり、荒木町となりました(町制施行)。1951年(昭和26年)4月1日に合川村・山川村・上津荒木村が、久留米市に入りました(編入)。1951年(昭和26年)4月1日に柴刈村・川會村が合わさって、田主丸町が生まれました。1951年(昭和26年)6月1日に高良内村が、久留米市に入りました(編入)。1954年(昭和29年)12月1日に水分村・水繩村・竹野村が合わさって、田主丸町が生まれました。1955年(昭和30年)1月1日に船越村が合わさって、田主丸町が生まれました。1955年(昭和30年)1月1日に安武村・荒木町が合わさって、筑邦町が生まれました。1955年(昭和30年)2月1日に青木村・江上村が合わさって、城島町が生まれました。1955年(昭和30年)3月1日に金島村・大城村・弓削村が合わさって、北野町が生まれました。1955年(昭和30年)7月20日に犬塚村が合わさって、三潴町が生まれました。1955年(昭和30年)7月20日に三潴村が町になり、三潴町となりました(町制施行)。1955年(昭和30年)12月1日に下広川村の一部が、筑邦町に入りました。1956年(昭和31年)9月30日に大善寺町が、筑邦町に入りました(編入)。1958年(昭和33年)9月1日に宮ノ陣村・山本村が、久留米市に入りました(編入)。1959年(昭和34年)4月1日に大橋村が合わさって、善導寺町が生まれました。1960年(昭和35年)7月1日に草野町が、久留米市に入りました(編入)。この時期だけで16回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
その後、1967年(昭和42年)2月1日に筑邦町が、久留米市に入りました(編入)。1967年(昭和42年)4月1日に善導寺町が、久留米市に入りました(編入)。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2005年(平成17年)2月5日に北野町・田主丸町・城島町・三潴町が、久留米市に入りました(編入)。
今の名前「久留米市」は、1920年にあった久留米市の名前を受け継いでいます。ほかの32の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の久留米市が約11km²だったのに対し、今の久留米市は約222km²と、およそ20.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は三井郡・三潴郡・八女郡・浮羽郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、浮羽郡は2005年(平成17年)3月20日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧御井村の区域には御井駅(久大本線)があります。旧荒木村の区域には荒木駅(鹿児島本線)があります。旧善導寺村の区域には善導寺駅(久大本線)があります。旧田主丸町の区域には田主丸駅(久大本線)があります。
年表
- 1922年8月1日大正11年国分村が、久留米市と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1923年8月1日大正12年節原村が、久留米市に入った(編入)出典:wiki
- 1935年ごろ1920〜1950年のあいだ川合村が、名前を川會村に変えた
- 1939年2月11日昭和14年大善寺村が町になり、大善寺町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1940年2月11日昭和15年善導寺村が町になり、善導寺町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1943年10月1日昭和18年御井村が、久留米市と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1949年9月1日昭和24年荒木村が町になり、荒木町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1951年4月1日昭和26年合川村・山川村・上津荒木村が、久留米市に入った(編入)出典:wiki
- 1951年4月1日昭和26年柴刈村・川會村が合わさって、田主丸町が生まれた出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日・wiki
- 1951年6月1日昭和26年高良内村が、久留米市に入った(編入)出典:wiki
- 1954年12月1日昭和29年水分村・水繩村・竹野村が合わさって、田主丸町が生まれた出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日・wiki
- 1955年1月1日昭和30年船越村が合わさって、田主丸町が生まれた出典:wiki
- 1955年1月1日昭和30年安武村・荒木町が合わさって、筑邦町が生まれた出典:wiki
- 1955年2月1日昭和30年青木村・江上村が合わさって、城島町が生まれた出典:wiki
- 1955年3月1日昭和30年金島村・大城村・弓削村が合わさって、北野町が生まれた出典:wiki
- 1955年7月20日昭和30年犬塚村が合わさって、三潴町が生まれた出典:wiki
- 1955年7月20日昭和30年三潴村が町になり、三潴町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1955年12月1日昭和30年下広川村の一部が、筑邦町に入った出典:wiki
- 1956年9月30日昭和31年大善寺町が、筑邦町に入った(編入)出典:wiki
- 1958年9月1日昭和33年宮ノ陣村・山本村が、久留米市に入った(編入)出典:wiki
- 1959年4月1日昭和34年大橋村が合わさって、善導寺町が生まれた出典:wiki
- 1960年7月1日昭和35年草野町が、久留米市に入った(編入)出典:wiki
- 1967年2月1日昭和42年筑邦町が、久留米市に入った(編入)出典:wiki
- 1967年4月1日昭和42年善導寺町が、久留米市に入った(編入)出典:wiki
- 2005年2月5日平成17年北野町・田主丸町・城島町・三潴町が、久留米市に入った(編入)e-Stat「田主丸町(40482)、北野町(40501)、城島町(40521)、三潴町(40523)が久留米市(40203)に編入」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。