今の上野原市
山梨県の最も東にあるまちで、郡内地方に含まれます。桂川(相模川)が刻んだ河岸段丘の上に市街地が広がり、周囲は1,000m級の山々に囲まれています。江戸時代には甲州街道の宿場町として栄えました。かつて棡原地区は長寿の村として知られました。ゆずや酒まんじゅうが名産です。東京都や神奈川県に近く、工業団地もあるほか、山あいには寺社や自然の名所が点在します。
今の上野原市の区域の人口は、2020年の国勢調査で22,669人です。今の区域で数えた1980年の27,878人とくらべると18.7%減り、人口は1995年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は36.7%です。
主な産業:工業団地の製造業、ゆずなどの農業、東京方面への通勤
特産品・名産
- ゆず市の名産・特産に挙げられる果実
- 酒まんじゅう市の名産・特産に挙げられる菓子
- 木の実煎餅市の名産・特産に挙げられる菓子
- せいだのたまじ市の名産・特産に挙げられる郷土料理
見どころ・祭り
- 上野原の大ケヤキ国指定の天然記念物
- 軍刀利神社のカツラ県指定の天然記念物。樹齢500年とされる
- 無生野の大念仏秋山地区に伝わる国の重要無形民俗文化財
- 月見が池ため池百選に選ばれたため池
木ヤマモミジ花リンドウ鳥ウグイス上野原市の木・花・鳥
上野原市のなりたち
上野原市(うえのはらし)は、山梨県富士・東部地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、9の町村がありました。西原村・棡原村・甲東村・大鶴村・大目村・厳村・島田村・秋山村・上野原町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の上野原市になりました。
今の名前「上野原市」は、1920年にあった上野原町の名前を受け継いでいます。ほかの8の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の上野原町が約9km²だったのに対し、今の上野原市は約170km²と、およそ19.1倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北都留郡・南都留郡に属していました。
「上野原市」という名前
市名の由来ははっきりしていません。上野原は、桂川(相模川)が刻んだ河岸段丘の上に市街地がひらけた土地です。江戸時代には甲州街道の宿場として上野原宿が置かれました。明治の町村制で上野原村となり、1897年(明治30年)に上野原町、2005年(平成17年)に上野原市と、この地名が町や市の名として受けつがれてきました。
まちの成り立ち
上野原は江戸時代、甲州街道の宿場町として栄え、市域には上野原宿・鶴川宿・野田尻宿・犬目宿が置かれました。養蚕や絹織物も営まれてきた土地です。
1889年(明治22年)7月1日の町村制で、北都留郡に上野原村・西原村・棡原村・甲東村・巌村・大鶴村・島田村・大目村が、南都留郡に秋山村が発足しました。上野原村は1897年(明治30年)12月27日に町制を施行して上野原町となります。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)4月1日に上野原町と棡原村・西原村・島田村・大鶴村・巌村・甲東村・大目村の1町7村が合併し、改めて上野原町が発足しました。平成の大合併では、2005年(平成17年)2月13日に北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併し、上野原市が発足しました。郡をまたいだ合併です。
市は山梨県の最も東にあり、東京都や神奈川県と接します。中央自動車道が通り、工業団地もつくられました。山あいの棡原地区は、かつて長寿の村として知られました。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、北都留郡に上野原村・西原村・棡原村・甲東村・巌村・大鶴村・島田村・大目村が、南都留郡に秋山村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年12月27日明治30年上野原村が町制を施行し、上野原町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年上野原町・棡原村・西原村・島田村・大鶴村・巌村・甲東村・大目村が合併し、改めて上野原町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 2005年2月13日平成17年北都留郡上野原町と南都留郡秋山村が合併し、上野原市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。