今の南部町
山梨県の最南端、南巨摩郡にある町で、町の中央を富士川が南へ流れます。西に身延山地、東に天子山地が迫り、9割近くが森林です。標高は県内で最も低く、富士川の河岸では100mに満たないところもあります。陸奥の南部氏の発祥地として知られ、江戸時代は舟運の町でした。今は林業のほか、たけのこや茶の栽培が営まれ、静岡県との行き来も盛んです。
今の南部町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,156人です。今の区域で数えた1980年の12,465人とくらべると42.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は43.7%です。
主な産業:林業(ヒノキの「南部の木」)、茶・たけのこの栽培、県境を越えた通勤
特産品・名産
- たけのこ旧富沢町を中心にたけのこまつりが開かれる
- 南部茶室町時代から茶の栽培の記録がある
- 南部の木スギ・ヒノキのブランド。地域団体商標
見どころ・祭り
- 南部の火祭り8月15日に富士川の河川敷で行う
- あじさい祭り内船のうつぶな公園に約3万株が咲く
- 内船歌舞伎県の無形民俗文化財の地歌舞伎
- 東海自然歩道町を縦断する自然歩道
木ヒノキ花アジサイ鳥メジロ南部町の木・花・鳥
南部町のなりたち
南部町(なんぶちょう)は、山梨県峡南地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。富河村・万沢村・栄村・睦合村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の南部町になりました。
今の名前「南部町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の富河村が約66km²だったのに対し、今の南部町は約199km²と、およそ3.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は南巨摩郡・西八代郡に属していました。
「南部町」という名前
「南部」は古くからの地名です。平安時代の末に、甲斐源氏の加賀美遠光の三男・光行がこの南部郷に入り、南部氏の祖となりました。南部氏の一族はのちに奥州へ移り、陸奥の南部氏のふるさととして知られます。地名そのものの語源ははっきりしていません。1955年(昭和30年)に睦合村と栄村が合併して南部町となり、2003年(平成15年)に富沢町と合併したあとも、その名が受けつがれました。
まちの成り立ち
富士川に沿う南部の地は、古代には河合郷にあたりました。平安時代の末に南部光行がこの地を治め、南部氏が興ります。のちには穴山氏が河内領を治め、江戸時代には駿州往還に南部宿・万沢宿が置かれ、富士川の舟運も行われました。
1889年(明治22年)7月1日の町村制で、富士川の西岸に南巨摩郡睦合村が、東岸に西八代郡栄村が発足しました。南の地域には富河村と万沢村がありました。1918年(大正7年)に身延線が内船まで開通すると、町の交通の中心は栄の側に移りました。1932年(昭和7年)に南部橋がかかり、両岸の結びつきが強まります。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)2月11日に富河村と万沢村が合併して富沢町が発足しました。同じ年の4月1日には睦合村と栄村が合併し、南巨摩郡南部町が生まれました。平成の大合併では、2003年(平成15年)3月1日に南部町と富沢町が合併し、改めて南部町が発足しました。
町は山梨県の最も南にあり、静岡県の富士宮市や富士市へ通勤する人も多くいます。林業のほか、茶やたけのこの産地です。
年表
- 1889年7月1日明治22年町村制の施行により、南巨摩郡に睦合村・富河村・万沢村が、西八代郡に栄村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年2月11日昭和30年富河村と万沢村が合併し、富沢町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年南巨摩郡睦合村と西八代郡栄村が合併し、南巨摩郡南部町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 2003年3月1日平成15年南部町と富沢町が合併し、改めて南部町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。